氷室京介展盗難事件に思う、ファンというもの。

 9月5日から10月10日まで大阪で開催されていた氷室京介展において、氷室氏のアクセサリー2点が盗難の被害にあったというニュースを目にした。
男性と思われる来場者が盗む瞬間が会場の防犯カメラに記録されていたそうだ。
 件のアクセサリーのうちロザリオは何度もライブで着用していたもの。ラスギグ全公演でも着用され、本人も相当気に入っていたようだ。

 私は、今はなきPersonal Jesus Cafeに展示されていたものを見たことがある。写真集MEMENTのイベントで代官山蔦屋書店のギャラリーにも飾られていたのも見た。
 どちらもステージ衣装と共に展示されており、ファンができるだけ近くで見ることが出来るような配慮がされていた。それはファンに対しての氷室氏サイドの厚意と信頼感の表れだったのだと思う。
 間近で見ることができたロザリオは、頻繁に着用されていただけあって細かい傷がかなりあり、この傷が氷室氏と共にステージで戦ってきた証なのだと感慨深くなった記憶がある。
 そんな本人にとってもファンにとっても思い入れのあるロザリオが盗まれた。
 犯人も盗難に遭ったアクセサリーも、未だにまだ見つかっていない。

 このニュースを見て、改めてファンというのはなんだろう?と思った。
 氷室氏ほどファンを大切にし、余計なファクターが入らずファンとの関係を成立させているミュージシャンを、私は知らない。(ファンの欲目があるのは百も承知ですが)
 氷室氏はソロになったばかりの時にこう言っていた。
 「自分を偽らないとカッコ良く見えないようになったら、もう辞めるべきだと思う。それが信じてくれる奴らに対する義務だ」と。
 ファンに誠意を尽くし、多くのファンからも愛されてきた人。
 そんな氷室氏は、耳の調子が悪化し、自分が求めるレベルのライブをコンスタントにやることが難しくなった、と(傍から見ている分には何がそんなにダメなのか理解できないのに)、2016年のライブを最後に、ライブ活動を無期限休止している。

 一方で、「ファンと称する人々」に傷つけられ続けてきたのもまた氷室氏である。
 BOOWY時代には、家のゴミをあさられて、「こんなことをされるのであれば、ミュージシャンをやめる。金なんてカミさんと暮らしていける程度があればいいんだから」と苦言を呈していた。
 よく知られているのは、2013年に発生した実家への放火事件である。
 2013年は氷室氏のソロデビュー25周年のアニバーサリーイヤーだった。25周年を祝う大型ライブも企画され(正式な発表はまだだったが予告はされていた)、ファンもアニバーサリーを楽しみにしていた中での悲劇。

 犯人の女性のTwitterは強く印象に残っている。
 BOOWYのデビュー30周年アニバーサリーイヤーが前年の2012年から始まり、2012年秋頃から2013年の3月21日(BOOWYのデビュー日)にかけて色々な企画が発表されていて、こちらも氷室氏のアニバーサリーと並んで楽しみにしていた。2013年2月には高橋まこと氏がDe+LAXを脱退し、広報宣伝部長的な立場でBOOWYの30周年をアピールし、また布袋氏も、同じ時期に出した自身のソロアルバムを「(BOOWYのアルバム)PSYCHOPATHに近いかも」と評したり、「運命の橋」と題するBOOWY時代に思いを馳せるブログを発表したりして、BOOWY30周年を盛り上げていた。そんな中でのあの事件。

 2013年の年明け頃だったろうか(事件から僅か数ヶ月前であったのは間違いない)、突然氷室氏のご両親に対する妄執的偏執的なツイートが目に付くようになったのである。それが放火犯のツイートだったのだ。
 氷室氏のご両親に対するおかしなツイートは頻発していたものの、氷室氏公式のリツイートはごく僅か。「氷室氏と自分はソウルメイト」といった妄想満載のツイートなどはあったが、氷室氏本人の音楽活動についてのツイートはほぼなく、氷室氏のカウントダウンライブのオフィシャルパイレーツ発売も映画主題歌決定も反応を示さず。
 その一方、布袋氏に対しては、恐らく本人がTwitterをやっていたからでもあると思うが、「アルバムをフラゲしました」「リザーブシートが当選しました。ライブ参戦予定です」「布袋氏の書いたスピリチュアル本『幸せの女神は勇者に味方する。人生の新しい扉を開く50の提言』を買ってきました。これから読みます」「BOOWYだけで生きる。コンプレックスも好き。ソロも最高!」などと積極的にツイートし、何度も布袋氏からリプをもらうなどしていた。また、高橋まこと氏のツイートに対しても何度もリツイートしていたことから、恐らくこの人は布袋氏やCOMPLEXのファンであるとともに、氷室氏のファンというよりは「BOOWYの氷室京介」が好きなBOOWYの大ファンなんだろうなぁと感じていた。私はBOOWYも氷室氏ソロも別々のものとしてどちらも大好きなのだが、BOOWYファンの中には「BOOWYの氷室京介」以外には用はないみたいなタイプもおり、彼女もきっとそういうタイプなんだろうと。
 ただ、彼女が発信するご両親に対するツイートは非常に不気味で、同じくBOOWYファンを名乗るならこういうツイートはやめてくれないかなとは常々思っていた。とはいえ、犯罪予告とまで言えるようなものはなかったので通報することもできず…。
 そうして2013年3月11日、あの事件が起きてしまった。

 当時の報道によると、犯人は事件前に実家前で騒ぎを起こして近所の人に通報され、警官から職務質問を受けていたそうだ。そして警官が立ち去った直後に放火して、その僅か10分後には警察に駆け込み、「氷室京介のファン」と名乗り自首したとのことである。
 そう、こんなことをしでかした犯人でも、ファンだと称してしまうのだ。それがさらにどれだけ被害者を更に苦しめることになるのか、想像もせずに。
 この放火事件報道の直後、布袋氏は氷室氏のご両親が無事で良かった旨のツイートをした。さらに事件の2日後、布袋氏は突如「BOOWYの中で好きなギターソロは何か」とファンに問いかけ、Twitterでファンと談義を始めた。
前者はかつての仲間に対する気遣い、後者は、間もなく布袋氏もツアーが始まることもあり、同日にBOOWY30周年をお祝いする著名人のコメント発表もあったりしたので、BOOWYアニバーサリー商品と連動したプロモーションでもあったのだろう。それ自体は特段の問題はない。これらに対してファンも無邪気に反応していた。ただ、布袋氏が氷室氏が被った事件のことに触れたこと、その直後にBOOWYの話題を出したことによって、変な方に妄想を膨らませてしまった人々もごく一部だがいたのだ。
 「放火事件に巻き込まれた近所の賠償で氷室が金に困れば再結成のチャンス!!」
「布袋さんがこんな発言するならツアーでBOOWY曲をやるんですよね?どうせなら氷室さんの実家救済のためのBOOWY再結成をよろしくお願いします!!」
「震災でも実現しなかったのでもうダメだと思ったけど放火のおかげで再結成を見られるかも」等々と放火を喜ぶ人の姿…。
「MORAL」で皮肉られた人々そのもの。
 喜ぶなんて言い過ぎ、ただの悪巫山戯、ちょっとした軽口を言っただけじゃないかと庇うことはできるかもしれない。でも。でもね、人間思ってもいないことは思いつかないものなんですよ。心の中にちょっとでも喜ぶ気持ちが、期待する気持ちがなければそんなことは言えないはず。
 こんな人々も「ファンと称する人々」なのだ。
 本当に、ファンってなんなんだろう。
 「好き」という気持ちだけあれば、後は何も問わないのだろうか。
 そんなことを「ファンと称する人」にさせるために、彼は音楽活動を続けてきたわけじゃないでしょうに。

 この放火事件のおかげで、氷室氏の25周年のアニバーサリーの企画は潰えてしまった。楽しみにしていたライブもアルバムもなくなり、新曲は、映画主題歌が決定していた1曲がリリースされただけ。カップリング予定だった曲も「お前の瞳に燃える炎が」という歌詞があったとかで、不適切だとお蔵入り。
 これらのこともショックだったが、何よりも氷室氏が受けた心の傷を思うと、辛くてたまらなかった。あの時は、ファンと称する人があんなことをしてごめんなさい。どうかこの事件が原因で音楽をやめないでと願う日々だった。
 だから1年遅れで25周年のアニバーサリーツアーの開催が発表された時は、心の底から嬉しく思った。周南であの宣言が待ち受けてるとも知らずに。

 この25周年のアニバーサリーツアーに私は何回か参戦した。
 この時の群馬公演で氷室氏は、「地元だから報告する」と前置きした上で、この放火事件についてこう話した。
「犯人は反省して実刑判決を受け入れた。多分犯人のお母さんも結構つらい思いをしているけど、家族に罪はない。だからこれでチャラにする」
 このツアーのファイナルから3日後に行われたインタビューでも
「ファンが、犯人が出てきたら絶対許さないと言っているのはやめてほしい。彼女は彼女で何か勘違いがあってそうなっちゃったんだろう」と

 もうね。もう。
 本当に。本っっ当にごめんなさい。
 これ、被害者に一番言わせてはいけないヤツ。
 一番苦しんだのは誰だ?一番辛かったのは誰だ?一番犯人を責めたかったのは誰だ?
 被害者であるご両親と、その家族であり、「自分のファンだと称する人」が犯人だった氷室氏でしょうが。
 彼はわかってる。自分の発言の重みを。自分が何か発することでまた新たな憎しみの連鎖が始まるかも知れないことを。
 「SCHOOL OUT」の歌詞の通りに学校を辞めてしまった人に対して心を痛め、自分で作詞することを躊躇するようになっていった彼だからこそ。
 「Dreamin'」を演る前に「夢を見ている奴らに贈るぜ!」と叫んでいたら、「俺は夢なんか見ることが出来ないダメな奴です」という手紙を貰って、「そんな奴らのために」と「Stranger」を作った彼だからこそ。

 「罪を憎んで人を憎まず」
 言葉にすることは簡単だ。しかしそれを実行することは難しい。
 あんな事件があったんだ。ご両親もそのままその土地に素知らぬ顔をして住み続けることは難しいだろう。自分の意思とは関係なく、高齢者を地縁から引き離さざるえないことがどれほどむごいことなのか。
 それほどの仕打ちを受けながら「反省して罪は償うのだから赦す」とはなかなか言えない。しかも犯人の家族まで気遣って。

 正直、ファンとして犯人に思うところは沢山ある。
 しかし彼がそれを望まないのであれば、その気持ちに蓋をせざるを得ない。一番辛かったのは私たちファンじゃない。
 だから、彼の気持ちを汲んで、犯人はきちんと更生していてほしいのだ。心神耗弱が認められていたので、何事もなければ多分もう出てきているのだろうけれど。

 それで。それでですね。
 今回の盗難事件の犯人は、一刻も早く盗んだ品々を返却してほしい。
 どうせまた「ファンと称する」のでしょうけどね。もしもファンと称するなら、もしも彼のことを好きな気持ちが一片でもあるなら、せめてこれ以上彼を苦しめないで下さいよ。
 多分、犯人が過ちを認めて真摯に反省すれば、必要以上に責めるような人ではないと思うから。

 警備が薄いのが悪い、手を伸ばせば届く距離に展示する方が悪いと様々なご批判はあるだろうけど、美術館の展示品のように厳重に封をしてケース越しに眺めさせるのではなく、ファンに間近で見させるような展示形式にしてくれたのは、冒頭にも書いたけど、ファンへの厚意と信頼感の表れなのだと思う。
 どうかその厚意と信頼を踏みにじったままにしないでほしい。

 …来春に予定されている東京巡回展は、警備が厳しくなっちゃうんだろうなぁ。

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