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韓国・啓明大東山医療院名誉博物館長 鄭成吉氏、「関東大震災」被災者写真で虐殺を妄想

はじめに
 2013年2月3日、写真収集家ともされる韓国・啓明大東山医療院名誉博物館長 鄭成吉氏は、2枚の写真を提示して「関東大震災」における朝鮮人虐殺の証拠だと主張した。これは、1月24日東京都が関東大震災における歴史教科書の内容を再検討する発表に対して韓国聯合ニュースが反応した記事である。
 証拠写真とされる写真は関東大震災における「吉原(岡田紅陽氏撮影)」と「本所被服廠跡」での罹災者の写真。場所も明らかであり、当地に朝鮮人大量虐殺の記録はない。鄭名誉博物館長は自身が示した証拠写真が文字表記の方法から”戦後のもの”であることが理解できず、主張内容からは彼自身が大正時代の歴史や風俗に無知であることが伺える。
 彼の精神的根源には反日主義があり、故に極めて主観的で憶測(彼自身の妄想)による稚拙な主張でも韓国では愛国行為として社会に受け入れられ、歴史教科書抗議の意義で報道されたのであろう。

*なお本稿に際して、Ⅹ(旧Twitter)藍金黃@mygod911『《北支派遣記念》写真帳の写真に関する考察』百年非 2023.2.5(日本語訳)https://twitter.com/mygod911/status/1622537039240642561 を引用させて頂きました。



■経緯

2013.01.24 【東京都】高校日本史の副読本にて朝鮮人の「虐殺」を「誤解を招く表現」として再検討を発表

東京都教育委員会は24日、都独自の高校日本史の副読本「江戸から東京へ」で、1923年の関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺に関する記述を修正。「虐殺」の文言を「尊い命が奪われた」とするなど、「誤解を招く表現」を再検討すると発表しました。(東京版から)

https://x.com/Asahi_Shakai/status/294633209692561410
https://x.com/Asahi_Shakai/status/294633209692561410  

2013.02.03 韓国聯合ニュース 「虐殺が誤解? 関東大震災朝鮮人虐殺推定写真公開」

虐殺じゃない?" 関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真公開 (ソウル聯合ニュース】関東大震災当時、虐殺された朝鮮人犠牲者を撮影した写真と推定される写真が公開された。写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が記されており、写真には腐敗した遺体が重なり合うシーンが写っている。 大正は日本の嘉仁日王の年号で、大正12年9月1日は関東大震災が起きた1923年9月1日である。2013.2.3 << 文化部記事参照。鄭成吉 啓明大東山医療院名誉博物館長提供 >> >>... yunzhen@yna.co.kr

【ソウル聯合ニュース】ファン・ユンジョン記者=日本の東京都教育委員会が高校の歴史教科書に関東大震災時に朝鮮人を虐殺したという表現を削除することを決定し、反感を買っている中、「朝鮮人虐殺事件」当時に撮影されたと推定される写真が公開された。
 記録写真研究家である鄭成吉 啓明大学東山医療センター名誉博物館長は3日、關東大地震で虐殺された朝鮮人犠牲者の姿を収めたと思われる写真を3日、聯合ニュースに公開した。
 写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が明記されている。
 大正は嘉仁日王の年号で、大正12年9月1日は関東大震災が起きた1923年9月1日である。嘉仁日王は1912年(大正1年)から1926年(大正15年)まで在位していた。
 今回公開された写真には、悲惨な当時の状況が鮮明に写っている。
 一枚の写真には数十体の遺体が並んでおり、下半身が剥き出しになっている。遺体の横には、男性たちが竹槍または串と思われる長い棒を持って立っている。
 鄭成吉 名誉博物館長は「犬が死んでも碑石を立てるほど葬儀を重視する日本人が、自分の国の人であれば、死んだ人の死体から下着を剥がしただろうか」と反問しながら、「女性の死体だけを選んで下着を剥がし、またもや虐殺を上回る残虐行為の極みだ」と憤慨した。
 鄭 名誉博物館長は「竹槍、鉄串と思われる長い棒を持っている男性は(関東大震災当時、朝鮮人虐殺を行った)日本の自警団と推定される」と話した。

2013.02.03 韓国聯合ニュース 「虐殺が誤解? 関東大震災朝鮮人虐殺推定写真公開」 https://www.yna.co.kr/view/AKR20130201199200005  より
「虐殺じゃない?"関東大震災の朝鮮人虐殺と思われる写真公開虐殺じゃない?" 関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真公開 (ソウル聯合ニュース】関東大震災当時、虐殺された朝鮮人犠牲者を撮影した写真と推定される写真が公開された。写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が書かれており、写真の中には数十体の遺体が並んでおり、遺体の下半身が剥き出しになっている。遺体の横には、男性たちが竹槍または串と思われる長い棒を持ったまま立っている。 大正は日本の嘉仁天皇の年号で、大正12年9月1日は関東大震災が起きた1923年9月1日である。2013.2.3 << 文化部記事参照。鄭成吉 啓明大東山医療院名誉博物館長提供 >> 2013.2.1 yunzhen@yna.co.kr

 別の写真には、腐敗した遺体が何重にも積み重なっている場面が写っている。
 3~4年前、日本でこの写真を入手した鄭名誉博物館長は「写真を見て驚愕を禁じ得なかった」とし、「女性たちの下着が脱がされているなど、悲惨で恥ずかしくて公開しなかったが、今回日本の教科書に虐殺という表現を削除することにしたという報道を見て、歴史を正しく知らせるために公開を決意した」と話した。
 彼は「恥ずかしく、恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった6千人余りに及ぶ朝鮮人の魂を私たちが守らなければならない」とし、「写真などの立証資料を提示し、過去の日本人が犯した残虐行為を躊躇なく告発しなければならない」と強調した。
 先に朝日新聞の報道によると、東京都教育委員会は、独自に発行する高校日本史の副教材「江戸から東京へ」に記載された「大地震の混乱の中で多数の朝鮮人が虐殺された」という文章を、来年からは「(関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼)碑石には大地震の中で『朝鮮人が貴重な命を奪われた』と書かれている」と変えることにした。
 東京都教育委員会は、虐殺という表現が「誤解を招く可能性があるため、表現を変えることにした」と明らかにしたという。
 しかし、東京都教育委員会のこのような決定は日本国内でも批判を受けている。
 朝日新聞は、日本政府の中央防災会議が2008年の関東大震災関連報告書で、流言による殺害事件の対象は朝鮮人が最も多かったとし、「虐殺という表現が妥当なケースが多かった」と認めたと指摘した。
 立教大学の山田昭次名誉教授も「残酷な事実を直視し、反省しなければ歴史から学ぶことはできない」とし、「教育の現場で真実を正確に伝える必要がある」と強調した。
 日本政府は1923年9月1日、マグニチュード7.9の関東大震災が発生すると、凶悪化した民心を鎮めるために「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマを流布した。これに興奮した日本人が在日朝鮮人2千600~6千600人を虐殺した。yunzhen@yna.co.kr

2013.02.03 韓国聯合ニュース 「虐殺が誤解? 関東大震災朝鮮人虐殺推定写真公開」 https://www.yna.co.kr/view/AKR20130201199200005 より

2013.02.04 岡田紅陽写真美術館 美術館日記「岡田紅陽が撮影した関東大震災の写真について

藍金黃@mygod911『《北支派遣記念》写真帳の写真に関する考察』百年非 2023.2.5(日本語訳)https://twitter.com/mygod911/status/1622537039240642561 より

 韓国人研究家、日本人による朝鮮人虐殺写真を公開という記事について、チョン・ソンギル氏が公開した写真は岡田紅陽が撮影した震災の記録写真です。
 『大正大震災大火災惨状集』には同一の写真が掲載されています。なお、この書籍は震災後89日後に発売し、すぐに発禁になったもので、その存在はあまり知られていません。
 東北芸術工科大学のアーカイブのものは絵葉書のようですが、こちらでは上記写真集および私家版のアルバム内に同一写真が見受けられます。
 なお、私家版のアルバムには写真の横に吉原公園魔ノ池附近と書かれています。この写真については上記以外の情報は不明です。
 なお、この写真については以前にも2008年5月に「ル・モンド」に掲載され、「広島・世界が見たことがなかったもの」と紹介されましたが、本当は関東大震災の写真だったということでニュースとなりました。
 ネット上には岡田紅陽が撮影したであろう関東大震災に関する写真が数多く見られます。様々な人の手を経て、情報が錯そうしてしまっていますので、写真の使用・掲載等につきましてはご確認いただきますようこの場をかりてお願いいたします。

藍金黃@mygod911『《北支派遣記念》写真帳の写真に関する考察』百年非 2023.2.5(日本語訳)https://twitter.com/mygod911/status/1622537039240642561 より

2013.02.04 韓国聯合ニュース(日本語版)「関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真 真偽は?」

2013.02.04 韓国聯合ニュース(日本語版)「関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真 真偽は?」https://jp.yna.co.kr/view/AJP20130204002500882   より

【ソウル聯合ニュース】韓国記録写真研究家のチョン・ソンギル(鄭成吉)啓明大東山医療院名誉博物館長が関東大震災時に虐殺された朝鮮人を写したとして聯合ニュースに公開した写真の真偽をめぐり、論争が起きている。
 公開した2枚の写真の上部には「大正十二年九月一日」と、関東大震災が起きた日付が記されている。
 1枚目の写真では下着が脱がされた数十人の遺体が並べられ、もう1枚の写真では遺体が重なり合っている。チョン氏は関東大震災の際に虐殺された朝鮮人犠牲者を撮った写真とみられると主張している。
 これについて、4日付の産経新聞(電子版)やインターネット上では下着がはぎとられていることだけで朝鮮人犠牲者の写真と断定するのは無理があると反論している。
 ある日本人読者は聯合ニュースに対し、「当時は横書きでも右から左に書いた。チョン氏が公開した写真には日付が左から右に書かれている」と指摘。「戦後に書かれたものではないか」と疑問を呈した。また、当時は下着を着けない女性が少なくなかったため、下着が脱がされていることから朝鮮人犠牲者と断定するのは問題がある」と主張した。
 一方、写真は明治44年(1911年)当時、東京・吉原で発生した大火事の際の写真との見方も出ている。東北芸術工科大学東北文化研究センターのアーカイブスに掲載されている同じ写真には明治44年の吉原火事の写真として、「新吉原公園の惨状」という説明をつけている。
 ただ、日本国内でも同写真が吉原火事のものか関東大震災のものかについては意見が分かれている。
 産経新聞は同写真について、「関東大震災の際のものとみられる」としながらも、「朝鮮人虐殺を裏付ける確固たる証拠はない」と報じた。ネット上には「写真は吉原火事ではなく、関東大震災の写真だと思う。吉原火事の死者は8人だった」との書き込みもある。別のインターネットサイトでは、もう1枚の写真について、関東大震災時の「陸軍本所被服廠」の写真と紹介している。
 チョン氏は「私が公開した写真は原本だ。その写真には『新吉原公園の惨状』と書かれていない。東北芸術工科大学東北文化研究センターにある写真が原本なのか印刷本なのかを明らかにしなければならない」と述べた。その上で、「当時の日本人女性は下着を着けない場合が多かったというが、写真の中の遺体は陰部が損傷している」と説明した。
 日本メディアが「韓国でまた捏造?」とチョン氏の主張を非難するような見出しをつけて報じたのに対し、チョン氏は「写真に書かれた日付が当時のものかどうかを確認するため、印画紙とインクを検証する用意がある」と話した。 kimchiboxs@yna.co.kr

2013.02.04 韓国聯合ニュース(日本語版)「関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真 真偽は?」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20130204002500882 より

2013.02.06 【中国網】「S. Korean releases photos of Japanese massacre victims(韓国が日本人虐殺犠牲者の写真を公開)」

http://www.china.org.cn/video/2013-02/06/content_27900549.htm  

韓国の歴史家が最近、1923年の壊滅的な関東大震災の直後に日本軍によって虐殺された在日朝鮮人犠牲者を示す写真を公開した。これは、東京当局が高校の教科書から大量虐殺に関する記述を削除することを決定してからわずか数日後のことである。

http://www.china.org.cn/video/2013-02/06/content_27900549.htm  

2021.08.11 관동대지진 조선인 학살 사건5, 새로운 증거 사진 추가(関東大震災朝鮮人虐殺事件5、新しい証拠写真が追加されました。)

Documentary Odyssey:彼をドン・キホーテ(理想を追い求めるあまり、分別に欠けたり、誇大妄想に陥ったりする性格)と評した。

【Youtube】인디컴 다큐 오디세이 Documentary Odyssey
관동대지진 조선인 학살 사건 진상규명을 위해
(関東大震災朝鮮人虐殺事件の真相究明のために)
오늘도 돈키호테처럼 묵묵히 걸어가는 정성길 근현대사사진연구가.
今日もドン・キホーテのように黙々と歩き続けるジョンソンギル近現代史写真研究家。
이번에는 일본경시청이 저지른 또 하나의 학살 증거 사진을 공개했는데,
(今回は警視庁が犯したもう一つの虐殺の証拠写真を公開しました、)
그 내용은 무엇일까요?
(その内容は何でしょうか?)

https://www.youtube.com/watch?v=68MbAfqIaKA&t=42s

2022.12.15 「来年は関東大震災朝鮮人虐殺100周年...無念の死の実態を正しく知らせるべき」

 2022年でも「関東大震災」朝鮮人虐殺を広報すべく精力的に活動している。

2022.12.15「来年は関東大震災朝鮮人虐殺100周年...無念の死の実態を正しく知らせるべき」 https://v.daum.net/v/20221215030510370 より

■主張の問題点

・関東大震災の際のものとみられる。朝鮮人虐殺を裏付ける確固たる証拠はない(産経新聞)
・下着がはぎとられていることだけで朝鮮人犠牲者の写真と断定するのは無理がある。当時は下着を着けない女性が少なくなかったため、下着が脱がされていることから朝鮮人犠牲者と断定するのは問題がある。
・当時は横書きでも右から左に書いた。チョン氏が公開した写真には日付が左から右に書かれている。戦後に書かれたものではないか(日本人読者)
もう1枚の写真は関東大震災時の「陸軍本所被服廠」の写真。

2013.02.04 韓国聯合ニュース(日本語版)「関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真 真偽は?」https://jp.yna.co.kr/view/AJP20130204002500882 より

(補足1)大正時代、女性たちはズロースの陰部に密着する感覚になれておらず、陰部を冒涜する一種 の“恥ずかしさ”を覚えた。

 大正時代になると、洋装の過渡期を迎える。洋装は、特定の人のみが着用していたものから、庶民に 着用されるようになる。女学校に制服ができたことや大正時代から女性はさまざまな職業につくようになり、服装も簡素な洋服を着用するようになったことから 伺える。このことは、ズロース着用者を増加させる要因となったが、やはり、女性たちは、ズロースの陰部に密着する感覚になれておらず、陰部を冒涜する一種 の“恥ずかしさ”を覚えた。
またこの時代に洋装が普及した要因といわれているのが、1923年の関東大震災である。震災の際、焼死した女性の無様な姿を見て、和服の不便さが言われるようになり、政府の半官半民の団体である生活改善同盟会が「外出には、ズロースを」ということを呼びかけた。

 しかし、この後も、女性は陰部を包み込む下穿きの感覚に慣れることが出来ず、また、このころ女性がズロースを穿くことは、“女らしさ”を損ねるもの、“つつましさ”“しとやかさ”を失うものとして考えられていた。このようなことから、ズロースはなかなか普及することはなかった。
 昭和7年12月の「白木屋の火災」で、和装女性は下着を着けないという慣習を問題視し、当時の風潮とも相まってズロースの着用の要因となりました。

【小さな自然、その他いろいろ】第一章 日本女性の性的羞恥心-国家の命運とスカートの中-https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/a93d215ac90040b9922000121eaf9b9a  

(補足2)聯合ニュースの”フェイク”「日本国内でも吉原火事か、関東大震災か、意見が分かれている」

【聯合ニュース記事】”東北芸術工科大学東北文化研究センターのアーカイブスに掲載されている同じ写真には明治44年の吉原火事の写真として、「新吉原公園の惨状」という説明をつけている。ただ、日本国内でも同写真が吉原火事のものか関東大震災のものかについては意見が分かれている。”

2013.02.04 韓国聯合ニュース(日本語版)「関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真 真偽は?」https://jp.yna.co.kr/view/AJP20130204002500882 より

東北芸術工科大学のデジタルアーカイブ「新吉原公園之惨狀」には明治44年の吉原火事とは書いていない日本国内で意見が分かれていない。

東北芸術工科大学のデジタルアーカイブ「新吉原公園之惨狀」https://web.archive.org/web/20130204145952/https://www.tobunken-archives.jp/DigitalArchives/record/7B3AEDEC-B2FE-26A2-FD6E-936523750A79.html?lang= より

(補足3)そもそも明治44年の吉原大火の死者は8人

吉原全滅、死者八人、損害は五百万円(明治44年4月11日 時事)
 罹災後の惨状 焼失家屋 鎮火後、その筋に於いては直ちに焼失家屋の取調べに着手したるが、十日午前までに判明したる分、左の如し。

明治ニュース事典 第8巻 (明治41年-明治45年) 著者 明治ニュース事典編纂委員会, 毎日コミュニケーションズ出版部 編 出版者 毎日コミュニケーションズ 1986.1 https://dl.ndl.go.jp/pid/12188265/1/119 より
明治ニュース事典 第8巻 (明治41年-明治45年) 著者 明治ニュース事典編纂委員会, 毎日コミュニケーションズ出版部 編 出版者 毎日コミュニケーションズ 出版年月日 1986.1 https://dl.ndl.go.jp/pid/12188265/1/119 より

(補足4)吉原大火の死亡者8人の氏名と年齢

・中村徳次郎(50)脳充血を発して絶命
・野沢延吉(41)倒れた煙突が頭部にあたり即死
・永井孝陸(57)僧侶。焼死
・橋本徳太郎(45)と長男 新太郎(25)自宅軒下にて焼死体で発見される
・嵐長太郎(25)焼死
・性別不明の焼死体2人

*明治ニュース事典 第8巻 (明治41年-明治45年) 著者 明治ニュース事典編纂委員会, 毎日コミュニケーションズ出版部 編 出版者 毎日コミュニケーションズ 出版年月日 1986.1 https://dl.ndl.go.jp/pid/12188265/1/119 より

(補足4)写真が原本かは争点ではない

関東大震災時の写真には異論はないようだが、彼の新説が定説「吉原」「被服廠跡」と異なるのかを明言せず、自説の根拠は写真2枚のみで文献等の裏付け資料もない。つまり、彼は主観的に朝鮮人の遺体だと断言しているが、客観的な根拠を示していない。写真が原本か否かが争点ではない。

 チョン氏は「私が公開した写真は原本だ。その写真には『新吉原公園の惨状』と書かれていない。東北芸術工科大学東北文化研究センターにある写真が原本なのか印刷本なのかを明らかにしなければならない」と述べた。その上で、「当時の日本人女性は下着を着けない場合が多かったというが、写真の中の遺体は陰部が損傷している」と説明した。

2013.02.04 韓国聯合ニュース(日本語版)「関東大震災の朝鮮人虐殺推定写真 真偽は?」https://jp.yna.co.kr/view/AJP20130204002500882 より


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