失くせば失くすほど、あると気づく。
私の中で、大きな失くしものといえば、
甲状腺。
身体から摘出してしまったので、
薬で補って繋いでいる命だ。
その次は、
安心感。
こちらも薬で補って日々の生活を
繋いでいる。
その次は、
夫への信頼感。
家族に内緒で、多額の負債を抱えていた。
この不信感。
まだどうしたら良いものか思案中。
その次は、
子どもは普通に学校へ行くものだという
当たり前感。
行かなくなった経験から、そういう意識は
失くなった。
まだ他にも、あれやこれやと失くしまくり。
加齢と共に、健康や脳細胞も日々失って
いるにちがいない。
段々と一々悲しまなくなってきた。
失くすという事は、生活の中の一部で
何かしら失くしながら生きるのが
当たり前なのかもしれない。
少しずつ失くすと気がつかないが、
劇的に何かを失うと、
残っているものを探して安心したくなる。
探しだしては、今まだ有るものに恵まれて
いるとすら思える。
失くしてきたものもあるけれど、
今あるもので、まだまだやっていける。
そう思うようにしてからは、
買い物が劇的に減った。
他人への期待も劇的に減った。
楽になったのか。
そう簡単にはいかない。
失うのは、決してハッピーではないからだ。
ただ、残っているものにフォーカスする。
そのスキルは、傷口のバンドエイド程度には役に立つ。
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