
4.大腸ポリープで久しぶりの入院
4-1.また旅に出ることになったのだ
人は人生を旅だという。それならば僕は「入院」もまた、ひとつの旅ではないかと思う。ちょっと詩的かもしれないが、人は病を得て旅に出る。そして運良く癒やして帰ってくる人もいれば、運悪くそれっきりの人もいる。退院は旅の終わりだ。帰去来。かえりなんいざ。娑婆に戻るのは嬉しいことなのだが、一抹の切ない気持ちがある。人生はグレートジャーニーであり、それはたくさんの小さな旅の集まりだ。たぶん人はこうして旅を重ねて、最期に近づいていく。旅の終わりの切なさは、その直感的な認識がもたらすものなのだろう。時の区切りはいつも切ない。すでに鬼籍に入られた方たちもまた、生前はこの切なさを感じ、切なさと共に生きておられたのだろうなと思う。
2021年8月、僕は「コロナ入院」という旅に出た。オミクロンで低毒化する前のデルタ株にやられたのだ。ICU6日間、入院延べ1ヶ月強。苦難の旅だったけど、僕は何とか家に帰ってきた。帰宅時の僕の肺は、健康時の半分以下のサイズに縮んでいて、その後2カ月は酸素ボンベを手放せなかった。あれから3年、僕はすっかり回復し、世間もまた、ほぼほぼコロナの後遺症から脱した。壊滅状態だった仕事も、やっと動き出した気配がある。そんな頃に僕はひょんなことから、またも旅に出ることになった。今度の旅は「ガン患者」だった。うわー。64歳にしてついに来た!という感じである。なかなかショッキングだし、自分でも未だに実感が沸かない。そんなに次々と病気をしなくても、ともそう思う。だが来たもんはしょうがない。何がきても迎え撃つしかない。
ことの発端は血便だ。しかし僕は若い頃から痔主なので、便に血が混じっているのは、見慣れたことだった。ただ今回は何かが違う、と僕は感じた。自慢じゃないが若い頃から何十年も己の血便を見てきた。だがこの時は違和感があった。あまり具体的に書くのは憚られるが、痔のように、便の表面に血がついているだけではない、もっと体の奥の方で出血がある感じだった。虫の知らせかも知れない。あとわずかで64歳になろうかという頃合い。年齢も年齢だ。同年代の人たちも、ガンとか腫瘍とか、ポリープといった単語が日常用語になっている。ここは一発、検査が必要だろう。実は僕は大腸カメラが死ぬほど嫌だった。大腸カメラやるくらいならガンで死んだほうがマシだ、とさえ思っていた。理由は後から書くが、それでも僕はついに決断した。それくらい違和感が大きかったのだ。
僕には主治医がいる。いわゆる町医者で、主に血圧の薬をもらっているクリニックである。そこの先生にお願いをして、紹介状を書いてもらった。自宅の近くにある総合病院だ。別に大腸カメラの検査だけなら、そこらの消化器系のクリニックで、普通にやってる。小さなクリニックの方が便利だし、何より手っ取り早い。それでも僕は、いろいろ万一を考えて、あえて総合病院を選んだ。今になってみると、この判断は正解だったと思う。後になって分かったことだが、結局はそこらの小さなクリニックの手に負える状況ではなかったのだ。2024年の3月1日。僕は紹介状を持って、自宅近くの総合病院の消化器内科を受診し、大腸カメラ検査を希望した。
4-2.検査が突然手術に変わる
大腸カメラ検査というのは、ご存知、先っぽに超小型ビデオカメラがついたチューブを肛門に挿入して、大腸の粘膜を目視観察する内視鏡検査だ。炎症やポリープ、腫瘍、ガンなどの有無を調べたり、検査のための組織採取もできるし、検査中にポリープを切除することもできる。昔は高性能のビデオカメラがなかったので、全体がグラスファイバーでできていた。ガラス繊維の筒の中に、ケーブルを通して、組織を取ったりしていたのだ。今から思えば原始的だし、とても太くて負担も大きかった。だからかつては大腸ガンというのは、見つかったときには手遅れが多く、難しいガンとされていた。それが技術の進歩で、大腸カメラはより軽く細くなり、鎮静剤の使用もあって患者の負担は激減した。検査が手軽なものになり、早期発見が可能になり、生存率が跳ね上がった、ということなんだ。
ではそんな素晴らしい大腸カメラなのに、僕はなぜ検査を嫌がったのか?それは僕はすでにそれを経験済みだったのだ。ただし40年以上前に。他のところでも書いたと思うけど、僕は40年以上前に、潰瘍性大腸炎になった。それはわずか2ヶ月で奇跡的に寛解したのだが、その時に僕は大腸カメラの検査を受けていたんだ。当時の検査はとても大変だった。今とは違ってレントゲンの台の上で、常に透視をしながらカメラをねじ込む。鎮静もしないので痛い苦しい。今と違って空気も抜いてくれないので、検査後は腹がカエルみたいになってる。僕はわずか20分の検査で消耗し尽くして、立って歩くこともできず、車椅子でトイレに直行したのだ。あの時の苦痛と情けなさは40年たっても忘れられない。昔の大腸カメラはそんな辛い検査だったが、しかし今では全然違う、とも聞いていた。だからまあ、今の進歩に期待した訳だ。
3月1日に検査を申し込んで、検査は3月5日。あっという間だった。たぶんだけど、大きな総合病院では、大腸カメラの検査なんて、毎日何十件も普通にやっている。僕はそのほんのひとつに過ぎなかった。もちろんその方がいい。病の場で目立って良いことはひとつもない。病院で特別に扱われるってことは、死神に狙われたようなもんで、ほぼほぼ良くないことなんだ。検査の前日、僕は指示通りに検査食を食べて、下剤を飲んで検査に備えた。改めて思い出したけど、この検査食も昔からめちゃめちゃ改良されていた。昔の重湯はこれ飲むくらいなら断食するわい、というくらいの代物だった。しかし今の検査食は、お昼は鮭かゆと肉じゃが、夜はクリームシチューとクラッカー。量は少ないがちゃんと美味しい。こんなものを食べて良いんだ!と僕は驚いた。翌朝は早朝から下剤を2リットル飲む。結局はこの2リットルが一番大変だった。
僕はこの検査に備え、事前に保険屋さんとも相談していた。60代になった僕は、遅まきながらだけど、「ガン保険」に入っていたんだ。だから何をしたら保険金が出るか、ということの確認が必要だった。僕はこの時保険屋さんから、面白い説明を受けた。大腸カメラはあくまで検査である。しかし合意書にはポリープを発見したときどうするか?という選択肢があり、「切除する」にチェックを入れておくと、取れるポリープはその場で取ってくれる。そりゃカメラ入れるのも準備からして大変だし、もう一度同じことして切除するより、その場で取った方が合理的だからね。ただしポリープを取ると、腸内に傷ができるから、その後数日、出張も旅行もダメになる。だから「ポリープを見つけても取らないで」となる場合も当然ある。そして保険屋さんいわく、ポリープを切除するその瞬間、検査は検査でなくなり「ポリープ切除手術」に切り替わるという。
僕の場合、大腸カメラ検査そのものは保険金は出ない。そういう契約だったんだ。しかしポリープ切除手術になると「日帰り手術」となり、金5万円の手当てが出るらしい。面白いもんだね。僕はもちろん「切除する」にチェックを入れておいた。当面、出張も旅行もなかったし、取れるものなら取って終わりにしたかった。3月5日の大腸カメラ検査は、あっという間に終わった。僕の不安のすべては杞憂で、苦痛も何もなかった。現在の「鎮静」は本当に素晴らしいと思った。そして僕は検査の後、「ポリープを4つ見つけて、2つ取りました」とだけ聞かされた。大腸カメラの検査技師は技師であって医者ではない。だから診断めいたことは言えない。ただ出張や旅行の関係があるので、ポリープの有無、取ったかどうかの事実だけは知らせてくれるのだ。
4-3.ポリープがあったのに取れなかった!
次の外来予約は3月15日だった。検査からほぼ10日間、僕には気がかりな時間だった。4つのうち2つを残したというのは「大きすぎて取れなかった」と見るのが普通だ。当然ながらそれはあまり良いことではない。ここが大きな病院の辛いところだ。小さなクリニックなら即、結果が分かるところを、次の外来予約まで待たなければならない。そして僕は15日に、予感どおりのことを告げられた。「残った2つのポリープはどちらも3センチある」「特に1つはガンの疑いが濃い」「大きいので切除するのに1週間の入院が必要」という。面倒なことになってしまった。こんなことなら昔のトラウマに囚われず、もっと早く検査に行けば良かったんだ。ポリープが大きくなるのには、3年から5年くらいはかかるらしい。そして大きくなると悪性化するものが出てくる。人間と同じだよね。大きくなる前に摘んでおけば、大腸ガンにはならないのだ。
入院はだいたい1ヶ月後、4月の後半に決まった。そしてそれまでにやらねばならん面倒ごとがいくつも出てくる。まず僕は翌週、腹腔内のCT撮影を受けた。明らかに大きなポリープがあるので、当然、ガン転移の可能性もある。そこで事前にCTで、ガンの転移の有無を調べるのだ。今の病院はなんかそんな感じ。何かあったら先に、その周辺の可能性を潰しておく。たとえばポリープを取るなら、「それさえ取ったら大丈夫」かどうかを事前にきっちりと調べる。考えてみたら当然のことで、ポリープを取った後で、やっぱり転移していました、あとココとココも取らないといけませんでは泣いてしまうからね。3月の終わりの外来で、僕はラッキーなことに、腹腔内のガン転移なしを告げられた。そしてその場で、4月22日の入院が決まった。ポリープの切除手術は翌日の23日にするという。
4月22日の入院まで、僕は普段通りの生活を続けた。桜満開の富山に撮影に行ったり、女の子と焼き肉を食ったりした。行きつけの呑み屋では、大きなアマリリスの鉢植えが咲いていた。だが入院日が近づくと僕はどんどん憂鬱になってきた。以前のコロナみたいな、息も絶え絶えの状態とは違う。自ら望んだこととはいえ、痛くも痒くもなく、普通に機嫌よく暮らしているのに、これから不自由な入院生活になるのである。22日の午前中、僕は荷物をまとめて、総合病院の入院受付に行った。これが憂鬱のピークだった。入院の手続きは面倒だったし、持ち込み薬の確認などもあり、病室についた時には疲労困憊していた。ベッドは4人相部屋の窓側で、窓の外には近隣の大きな公園が見えた。入院と同時に検査食が始まった。考えてみたら手術は翌日なのだった。定期的な検診、体温、血圧、血中酸素濃度のチェックに加えて、点滴もはじまった。大酒飲みの僕は、寝酒なしに眠れる自信がなかった。しかも明日は手術なのだ。持ち込んだ睡眠薬も効かず、その晩は一睡もできなかった。
白白と明けてゆく病室の天井を見ながら、我が弟を思い出す。僕が検査を受けた理由のひとつは、弟の死であった。僕には弟が二人いたが、下の三男を、この年明け早々に亡くした。兄という生き物にとって、自分より下の弟や妹が、自分より先に死ぬなんてことは、到底受け入れがたいことだ。僕は今でも受け入れていないし、僕たちが生まれ育ったあの家に帰れば、弟がひょっこり出てくると思っている。享年57歳。中学生と高校生の男児2人を残しての死は、無念であったろう。その彼の死因がガンだったのだ。珍しい精巣原発性のガンで、調子が悪いのを放置していたら、肝臓と背骨に転移し、手がつけられなくなった。僕のように初期発見で、手術で切れるガンは幸運なんだ。発見時にすでにあちこちに転移していたら、まずは抗がん剤で叩いて、ガンを減らす。抗がん剤が効いて、ガンが縮小したら、やっと手術の選択肢が出てくる。抗がん剤が効かなければそのままアウトである。現代医学は凄い。弟はほぼ医者の予測どおりに亡くなった。眠るような死だったことだけが救いだ。
4-4.手術そして一週間の入院生活
翌日、4月23日。ありがたいことに鎮静はよく効き、朦朧のうちに手術は終わった。術式は「内視鏡的粘膜下層剥離術」という。大腸というものは、多層構造になっていて、腸の内側から順に、粘膜があり、筋層があり、一番外側が漿膜という。僕の大腸にあった、2つの大きなポリープは、いずれも粘膜から筋層まで達しており、そのまま削り取ることはできない。そこで内視鏡で見ながら、根っこの部分、粘膜と筋層の間に水を入れる。水で膨らませて、筋層から剥離させて切り取るわけだ。僕は鎮静されながらも、手術の様子は断片的に見ていた。面白いと思ったのは、切り離したポリープを、いったん奥に置いて、手前で止血をするところだ。考えてみれば当然で、ポリープが手前にあると邪魔になるからね。そして削り取った断面の止血が終わってから、奥にあったポリープを挟み込んで、直腸まで引きずってくる。しかしポリープは大きすぎて、肛門括約筋を通らない。そこで直腸に置いたまま、カメラだけを先に抜き取る。そして「さあ、いきんでください!」である。これには驚いた。しかし言われるままにいきむと、ポリープは肛門から、便のようにポロリと出るのであった。
術後2時間はベッドで安静、その後はじめて水を飲み、室内歩行が許された。もちろん怖いから動かないし、どこにも行かないよ。前日が不眠だったのと、鎮静が残っていたのか、その晩はよく寝た。翌朝に採血とレントゲンがあったけど、経緯はしごく順調で、血便もなく、何の問題もなかった。翌日の夜から3分菜食、5分菜食、7分菜食とお米の量が増えて、それに見合ったおかずがつき、最終的には100%白米のご飯になる。特に痛みも異常もなく、隔離されているわけでもない僕は、さっそく病院の地下のコンビニで、入院の友、ふりかけを購入してきた。小袋のふりかけを、混ぜてかけてみたりした。毎日のご飯をSNSに載せた。そんな小さな楽しみでもないと、やってられないからね。入院食のお盆には、プレートが埋め込んであり、ご飯やおかずが冷めないようになっていた。さすが現代医学やなあ。
ちなみに僕がこの1週間のために、病室に持ち込んだもの。それは自前の血圧計とシーパップである。血圧計はスマホに連携していて、毎日の血圧データをグラフにしてくれる。僕はそのグラフを主治医に見せて、降圧剤をもらっているんだ。入院中、血圧は病院側の管理になるが、そのデータを貰うのも面倒だ。だから自分でも血圧を測るのだ。そしてシーパップ。僕は残念ながら、睡眠時無呼吸症候群のD判定だ。かなり悪い。だから夜間の呼吸補助具を使っている。これがないと睡眠中に酸素欠乏で脳が壊れるんだ。この二台は私の忠実な臣下のように、ベッド横のワゴンに並んでいる。入院生活も後半になると、もう大丈夫そうと見て、知人がお見舞いに来てくださったりした。とはいえ、この入院は手術前夜も含めて6日間、あっという間だった。4月27日の午前中、予定より1日早く、僕は荷物をまとめて自宅に帰った。帰りに弁当屋で買ったオムライスは娑婆の味がした。
さて保険のことも少し書こう。お金のことはとても大事だ。退院してすぐ僕は診断書をもらって保険の手続きをした。今回の大腸ポリープ切除術は、検査ではなく、最初から手術となっていた。ポリープがあることは最初から分かっていて、それを取るための手術だったからね。入院しての手術で、手当て10万円。入院が6日間で、1日1万円。合計16万円の手当てとなる。これ以外にも細かいけど通院で1日3千円とか出たりする。まあ、そういう契約なのだった。フリーランスの自営業が1週間仕事を休んで16万円。決して十分ではないけれど、これがあるだけでも全然助かる。入院費・手術費はいずれ高額医療で処理するとしてもだ。皆さん、保険はちゃんと入っておきましょう。痛い目してしかもカネがないなんて辛すぎますよ。