「ごめんなさい」という言葉
私は訪問介護士をしている。
ある日お客様が口をぱくぱくさせてこちらに訴えかけていた。ただ開閉しているわけではないと気付き口の動きを読んでいると、「ごめんなさい」と言っていた。
高齢の、病気によって体が思うように動かないお客様。
一日中ベッドに寝ていて、自分では寝返りを打つことが出来ず、誰かの介助があって初めて立ち上がる事ができる。日に日に体力や可動域は落ちいき、以前よりも時間をかけてひとつひとつの動作を介助せねばならなくなってきた。発語があまり出来ない方で、話せても単語のみ。最近は声もあまりでない。常に遠くをぼうっと眺めていて、スプーンが目の前に来たら口を開けて、膝裏が椅子の縁に当たったら座るという反射で日々を過ごしている。
立ち上がれば手引き歩行でトイレに行く事が出来る。時間をかけてベッドから立ち上がる事ができた時だ。
「ごめんなさい」
そうお客様の口は動いていた。
その時、私の感情に何かが引っかかった。
「ごめんなさい」という言葉を果たして正しく使っているのか、と。
状況だけ見ると、感動もしくは悲しみを感じる場面かも知れない。上手く話せないお客様が声も出ない状況で介護士にごめんなさいと口パクで伝える、ということは。もしかすると泣いてしまう介護士もいるのではないかと思う。状況だけ見れば。
でも私はお客様が使うその「ごめんなさい」は、正しく使われていないと違和感を覚えた。要介護者が介護士に向かって謝る事で、要介護者が更に擁護されるべき存在になってしまうというか、その言葉で介護士が更に温情をかけて優しく接せねばならないという枷を付けられるというか、要介護者と介護士の完全なる線引きをしてしまう言葉だと思った。
要介護者は誰に謝らなくてもいい。
悪いことなんてしていないのだから。ひとつも。
「申し訳ない」と「ごめんなさい」は全然違う。
要介護者が介護されることに申し訳なさを感じるのは少なからずあるだろう。「申し訳ない」と言われることは多々ある。その都度そんな事はないという旨を伝えるが、言葉に違和感はない。
言葉は正しく使わないと価値が下がるし、意味を成さない。特にごめんなさいという言葉に関しては正しく使わないと発した本人の自己肯定感を下げてしまうことになる。
本当に謝罪しなければならないような事態なのか。
謝罪に値するのか。
考えて使わなければならないと強く感じた。
お客様が安易に使う言葉ではないと反射的に感じて、引っかかってしまったのだ。
そのお客様に沢山のお話をしても、理解できているか返答がないので分からない。それでも言葉に感じた矛盾を、出来るだけ伝わるように話した。お客様は、いつものように遠くを見つめていた。
食事介助を終え、再びベッドに戻る時に体の動きが少し良くなっていたのは、何かを感じて自分を大切にしてくれたからではないか。そう勝手ではあるが解釈してしまった。
何も悪い事はしていない。
動きに時間がかかることも必然である。
そう理解して謝ることもなく動作を行なってくれた事で、逆にスムーズだったのではないか。そう考える。
私は、介護は「出来ないことを助ける」ことだと思っている。
お客様が以前出来て今出来ないことを、手となり足となり手伝うことだと。
出来ていたことが出来なくなることは、謝罪すべき事柄ではない。
自己肯定感を下げるような言葉を使うのは、精神衛生上良くない。
余生を出来るだけ穏やかに、自己肯定感は高く過ごしてもらいたい。そういったサポートをこれからもしていこうと思う。
思った事は出来るだけ言葉にしてお客様に伝える。私はそういう介護士でありたい。