時の流れの感じ方
最近、時間の過ぎ方が早くなった。4時には目が覚めて、ふたりの子(新しい家族の猫2匹)のご飯を作り、トイレの掃除をして机に向かう。ふたりが食べ終わって布団に戻り、もう一度食寝かしつける。
PCでニュースをチェックしたり、YouTubeでウクライナの解説動画を見たり・・・、疑問点は検索で調べたりする。本当はすべき事があるのに、こうしてムダに8時まで過ごしてしまう。読みたい、読むべき本が二冊、机の上にあるのに。その後1時間くらいの散歩に出て、食事を作って食べる。食後はボーッと昼頃まで録画して置いたテレビを、居眠りをしながら眺めてる。何をしてたのかもわからぬままに4時になり、風呂の用意をして夕飯を食べて、何となく一日が終わる。
フランスの心理学者ジャネーの法則では、時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するそうだ。別の考え方として、興味の有ることには意識が集中し、時間が長く感じられる。年齢を重ねると生きる事への慣れから、時間の流れを気にすることもなく、速く感じられるという。
どうやら後者の方らしい。毎日が規則正しくもないのに、いつの間にか同じ時間の過ごし方になって、何も考えることもなく、同じように過ごしてしまっている。
長く生きるというのは時には面倒なもので、結果の予測が出来てしまい、けっきょく何もしなくなる。
食事を作り出すと、何を作るのかを決めて素材をそろえると、素材の種類や量から出来上がりの味が想像できて、作るのが面倒になる。時には途中で止めて外食にしてしまう。本を読んでも、途中で何を述べたいのか想像できて、そのままになってしまう。テレビを見ても、どこも同じ様なことばかりで見てられない。
毎日がムダに思えてくると、そのムダに過ごしてる時間は短く、やりたいことが出来ないのは時間がないからという言い訳を作って、けっきょくは何もしないでムダに時間を過ごしてしまう。
一応は健康のようで、心臓や腰痛があるといっても、動くことに何ら問題は無い。忘れやすくなったことが心配で、4回も認知症検査をした。さすがに4回目には「全く異状なし」と、検査結果の点数表や認知症初期段階での症状や点数などを、実に面倒くさそうに説明された。
そこそこ健康であることは、良いような悪いような。何かをしたい、すべき事がある、と思いつつも行動の前に結果が見えてしまうような気になって、いつの間にか何も出来すに一日が終わってしまう。
20年以上もネットでいろいろと試して来たが、それらの清算を行おうかと考えてる。全てをゼロに戻し、そこから何かが始められるのか、今の自分とは違うところから自分自身を試してみたい。そう思うことが続いているのだが、何も出来ずに一日が終わってしまっている。何かをするには、何かを始めるには時間が足りない。
年寄りの時間は、傍目にはノンビリと過ごしてるようだが、年寄りには一日の時間も、残り時間もが短すぎてしまう。
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