「釵頭鳳」を聴くと
童麗の「釵頭鳳」を聞いてると、遠い遠いむかしの、赤いスカートに白いシャツ、おかっぱ頭を思い出す。
この陸游の詩、「釵頭鳳」の故事は以下の通り。
三歳の頃から祖父の田舎の家に行き、書を教えられ、神道の考え方を教えられた。時には菩提寺の住職の家にも行き、真言宗の仏教も教えられた。そして、広い庭で放し飼いの鶏や犬や猫達と遊ぶのが楽しみだった。
いつの頃からか、おかっぱ頭の女の子が付いてくるようになった。もう70年近く前の田舎のことで、この子の赤いスカートと白いシャツ姿は綺麗に洗濯されていて、印象に残っている。
小学校の低学年の頃、昔の田舎のコンビニともいえる万屋で菓子を買い、店の道向こうの小さな神社の軒下で一緒に座っていた。店のお婆さんが茶碗に飲み物を入れて持って来て、三人で座って話した。お婆さんの話で、その子は「イイナズケ」だと聞いた。その意味が良く分からなかったが、いつかはこの子は自分のお嫁さんになり、一生この子を大事にしなければならない、そんな事を聞いた。
祖父の家に行くと、気が付けばいつの間にか近くに来ていた。短いスカートから出てる足は、毎回虫刺されの痕があり、それが気になっていた。痛くも痒くもなかったようだが、いつものように万屋で菓子を買い、神社の軒下に据わり、その虫刺されの痕にツバを付けてさすってやった。傷にはツバを付ければ良いと聞いたことがあったので。
さすってやった後に、初めてその子を抱きしめた。今の大人のようなイヤらしさではなく、ただ何となくそうしてしまった。大事なものを、大切に扱うために、そうしてしまった。温かくて何となく甘いような汗の匂いもして、その感触は今でも鮮明に思い出せる。
中学に入る頃、田舎に行ってもその子が来なくなった。何度目かにきいたら、もう忘れるようにとだけ言われた。万屋のお婆さんに聞いても、仕方ないよ・・・というような、それ以上聞いてはいけないような風だった。
許嫁だと言われながら、ある日からとつぜん逢えなくなり、その理由も良く分からないままだ。中学に入り、田舎に行く機会も無くなり、しだいにそのこの顔も思い出せなくなった。
道路の拡幅工事で万屋さんの家はなくなり、次第に住宅も増えてきた。今でもかつての万屋さんの道むこうには神社が残ってる。祖父に会いたくなり、墓を訪ねる時にこの道を通り、小さな神社を見る。オモチャのような神社に、飾りで付け足したような軒があり、あそこに二人で腰掛けていたのかと懐かしく感じる。
とつぜん逢えなくなった理由は未だに分からない。チョットか弱そうな、痩せた子だったけど、今は元気に暮らしているのだろうか。名前も顔も思い出せなくなった。小さくて温かだった、感触だけは残っているのに。
陸游の「釵頭鳳」の故事の古詞、この悲しい歌謡を聴くと、痩せて虫刺されの足を思い出す。幸せになっていたら良いけど。