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初めての湯西川温泉へのドライブ(未)

 初めて湯西川温泉に行ったのはまだ二十歳前、半世紀以上も前の頃だ。当時は奥鬼怒温泉や川俣温泉とともに、まさに秘境の温泉地であった。
 
 高校卒業前に中学生だった弟を乗せ、憧れの若大将「エレキの若大将」のロケ地に向かった。中禅寺湖周辺は、今と違い道路は未舗装でホテルも少なく、東照宮に比べて静かだった。大きなホテルを捜して、日光中禅寺湖から戦場ヶ原へ行き、山王林道を通って川治温泉まで行ってしまった。何気なく入ってしまった山王林道は、運転の未熟さに加え、荒い岩でゴツゴツした狭い道であった。中腹まで登ると崖ギリギリの車1台も通れるのかと思えるほど狭い道で、ドアを開けることも出来ず、バックで引き返すことも出来ず、やっと川治温泉にたどり着いた。休むことよりも早く家に帰りたいと、日塩街道を通り塩原温泉まで行き、国道4号線に出た。川治温泉がどん詰まりらしく、とつぜん道が広くなり生き返ったように感じた。広いといってもボンネットバスがすり違えることが出るくらいで、未舗装だが塩原温泉までは走りやすく、さらに4号線まではまともな道路に安心できた。ただ広い道路を頼みに進めば、いつかは国道に出られるだろうという思いだけだった。

 後に地図を見たら、塩原まで行かずにに鬼怒川温泉を抜けて日光に戻った方が早かった。当時はまだ鬼怒川温泉よりも塩原温泉の方が有名であったらしく、川治温泉から続く日塩街道の方が広い道だった。途中に小さな看板で、川俣温泉や湯西川温泉への矢印があり、鬼怒川温泉と日光方面への案内もあったが、未舗装で車のすれ違いも大変に思えるような狭い道で、山王林道の恐怖の後では、日光周辺などまったく行こうなどとは思えなかった。
 
 ところがたまたまテレビで、マタギの伝統的生活を放送していた。東北地方の人達だが、栃木県内にもマタギがいるとのことで、調べたら湯西川温泉の辺り、栗山地区であった。「マタギ」という単語が、なぜか「湯西川温泉」という小さな看板が指し示してる狭い道が、妙に誘われた。一人で122号線から日光を目指し、鬼怒川温泉から五十里湖、湯西川温泉へと行くことにした。一応は道路地図を用意して、入念に練って出掛けたのだが、国道も県道もほとんどが未舗装で狭いところも多く、冒険であった。
 
 鬼怒川温泉や川治温泉はいずれ書く機会も有ると思うので略して、川治温泉から五十里湖までの道程がとてつもなく長く感じた。小さな木札のような看板で左折して、湯西川に沿って温泉地を目指すのだが、家がまったく見えない。湯西川の渓谷のような川に沿った狭い道を、不安な気持ちでいつまでもいつまでも走り続けた。途中で故障をしたら連絡も取れないし、マタギが健在ということは獣も多いのだろう、また対向車が来たらどうしようか、などと余計なことを思いながら2時間近く走り続けた。
 
 相変わらず狭い道路だが、それでも少し広くなった。立て看板だったか、余り大きくもない看板に「湯西川温泉」の文字を見たときにはホッとした。右に数軒の家と、左側の湯西川沿いに20軒もなかったような家が並んでいた。100mもなかったような家並みを過ぎると、急に狭い道路になり、慌てて引き返した。ちょうど昼食頃なのに、食堂も見つからず、たぶん今の伴久旅館だと思われる建物の庭に勝手に停めた。温泉地なのに、観光客もまばらで、街の人達の姿も見えなかった。常連の湯治客がメインだったのかもしれない。共同湯や湯西川も見ることもせずに、とにかく空腹で、川治温泉へと戻ることにした。初めての湯西川温泉は、ただ川の横をクネクネと狭い道を走ったという事だけで終わった。
 
 まだ東北道のできる前で、高速道路もなく、県道や国道でさえ未舗装の幅の狭い道路で、悪路を走る楽しみには事欠かなかった。

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