私は毎日お酒を呑む 美味しいと感じた時はほとんどない 今日こそは眠れますようにと 眠剤と共に流し込む 人生百年としたら 私はまだ半分しか生きておらず 人生を語るには甘ちゃんすぎる人間だ 幼い頃から続いた、父からの虐待 怒りのままに殴られて、蹴られる 時には馬乗りになってボコボコにされる そんな父をなぜか 祖母は異常なほど可愛がっていた 「女は男より先にご飯を食べるな」 「女は男より先にお風呂に入るな」 男を立てている言葉などではない
試練だらけの人生だった 人生、いい事よりも悪い事の方が多い 母の手紙に書いてあった 確かに私の人生は 山あり、谷あり、谷ばかり、だったけど その方が人生の景色は綺麗なはずだと そう信じて生きてきた 私の人生で一番の自慢は 息子を生んだこと 死産 流産は何度も経験した 生まれてきてくれたのは 息子一人だけだった 息子も何度も何度も 流れそうになったけど 必死でお腹にしがみついてくれた なんて生命力のある子供なんだと 思わずにいら
人間の感情は厄介だ 旦那のことが好きだった 一生を共に生きていく 誰よりも誰よりも大切に想い 心の底から好きだった まさか、その分が恨みとなろうとは 「騙してまで 結婚したのが最大の間違いだった」 最後の最後に言われた言葉 人を騙した側が 騙された側の人間に言い放つ その瞬間から とことん 私は恨みに支配された 人を恨むことはパワーがいる 誰も恨みたくはないのに 恨んでしまう 旦那を恨みたくないのに 許したくない自分がいる
息子の主治医に、事の顛末を話した 「旦那さん、反抗期がなかったのなら これから手がつけられなくなるな。 感情のぶつけ方を知らない人間だよ。 しっかり見ておくといい」 それはすぐに現実となった 弁護士を通しての、債務整理 オカネが自由に使えなくなった旦那は 私の手には負えない存在になっていた 反抗期のない人間は 感情の抑え方を知らず 怒りの矛先をどこに向けたらいいのか 自分自身のコントロールもままならず 悲しくも、その姿は 気の狂った父その
金融会社から 旦那が言っていた手紙が届いた 今まで手にしたこともない分厚い封筒 A4用紙十八枚 旦那の借金履歴、全てがそこにあった 私と知り合う前から 借金まみれの男だった バレてはゼロになる そんなことの繰り返し 周りの人が助けてくれた履歴も そこにはあった 明細書を持つ手が震えた まるで銀行のATMで 自分のオカネを引き出しているかのよう この人にとって カード一枚で借りれるATMは まさにそうだったのだろう 毎月七万もの利
ちょうどその頃から 旦那はまた 消費者金融に手を出していた なんとなく、わかってはいたが 私は息子を育てることに必死だった 息子を一人でメシが食える大人にする それが子供を育てる軸となっていた 息子が中学二年生の終わり頃 新聞の片隅に、私のことが載った 本当に小さな記事だった 隣人にストーカーされて 車のフロントガラスを素手で割られた 隣人が怖くて 私は引っ越しを考えた ずっと賃貸マンションに住んでいた 仙台には十年以上住んでるし
小学五年生くらいだったと思う 息子と二人 近所のスーパーで買い物をしていた 息子の大好きなお菓子 ブラックサンダーの袋詰めを見つけ 私は三百円を渡して レジが終わるのを待っていた 息子は長い列を並び ようやく自分の順番がきた時 レジ横にある ネパール地震の募金箱を見つけた 「これ、買うのやめていいですか?」 店員さんに伝えて 握りしめていた三百円を、募金箱に入れた レジの人が優しく聞いてくれた 「ボク、このお菓子が欲しいんでしょう? 募金し
絶対に、息子を父のようにはしたくない あとから知った話 弟も同じ想いだったと聞いた 「父のようにはなりたくない」 その一心で勉強も頑張った 虐待の対象にならないように 空手も習った 大手の会社に就職はしたが 思うように仕事ができず 会社で馬鹿にされた 弟は弟で頑張っていたのに 全てがうまくいかない 母のお葬式の後は 自分まで気がおかしくなって 救急車で運ばれた 「こんなんじゃ、オヤジと同じや。 俺は、オヤジみたくなりたくないんや」 そう言
息子の知能指数は七十もなく 知的障害と呼ばれる域だった まだまだ なんとかしなければ 息子のADHD発覚に伴い 私の父もADHDだとわかった 父はADHDの特徴を兼ね備えていた 友達もおらず 兄弟からは嫌われ 最後は親からも見放された 会社はすぐクビになるため 履歴書には書ききれないほどの 会社名が並ぶ 車を運転すれば事故ばかり そして 感情のコントロールができす 私を虐待し 最後には気が狂って 精神病院に入院 誰からも馬鹿にさ
私はお酒ばかり呑んでいた 辛かった 人生から逃げ出したかった 誰かに頼りたくて 息子の主治医に助けを求めた 主治医は難しい顔をして、話を聞いていた そして、言った 「お母さんが精神科に行くべきだ。 しっかりしなさい。 お母さんがぶれたら、子供もぶれますよ!」 精神科ではなかったが 近所の診療所で「心労」だと診断された その夜 母子で揃って、睡眠導入剤を呑んだ 二人で朝まで泥のように眠った よく寝て よく食べて しっかりと寝て 規則正
実家から仙台へと帰ってきたが、 息子がなにより心配だった やっとやっと 会話ができるようになっていたのに そのタイミングで 人間が気を狂う瞬間を見た息子 弟は自分の目を箸で突こうとした お嫁さんが「やめて!」と叫ぶと ひねってもいない水道の水が 勢いよく流れ出した 母は亡くなっても 必死で我が子を守っていたのだろう 弟の形相は凄まじかったそうだ それを目にしてしまった方もたまらない 息子はすっかり様子が変わってしまった 昼間でもビクビク
長い間 病院の、廊下の椅子に座って泣いていた 子供よりひどい泣き方だった 泣き疲れた頃 旦那が横に座っていることに気がついた 「虐待されている、って聞いてはいたけど ずっと嘘だと思っていた。 父親が自分の娘にすることじゃないよな。 信じられないよ、こんな話」 かつて 結婚を約束した人が言ったセリフだった 旦那には口にしてほしくない言葉だった そして、何? 嘘だと思っていた? 冗談じゃない 全てを受け入れてくれて 器の大きな人だと思
翌日 私の弟の気がふれた それを見ていたのが 九才になったばかりの私の息子だった 自分の奥さんと子供を殺して 俺も死ぬと大騒ぎ 人間とはなんて弱い生きものなんだろう 救急車で運ばれた先は なんと父が入院している精神病院だった しかも、同じ病棟 弟に面会するため ナースステーションに行った 看護師さんは 私が娘だと気がついたようだ 「お父さんと面会されますか? もう何年も会ってないんでしょう?」 「会いません。 あの人には何度も殺されそう
診断がついてもつかなくても 病院を駆けずり回ることに変わりはない やるべきことがいっぱいで 私はいつも疲れきっていた 深夜に帰宅する旦那 育児などやってくれるはずもない お酒を飲みながらぼんやりと考える どうして 一人で生きていけるなどと 思っていたのだろう 結婚して、地元を離れ 家族に何かあれば、それに振り回され 女は仕事をするどころではなくなる 女って、不利だ そんなことばかり考えていた 薬を服用するようになって、三カ月 息子に変
原発が爆発したと聞き 旦那の実家、青森県に避難した バタバタとした生活が続く 知り合いが津波で亡くなったと 連絡を受けた 海の近くに住む彼女を助けて 自分が流されたと聞いた 一生懸命生きていた人だった 東日本大震災は地獄だった 生きていても地獄 死んでも地獄 同じ地獄ならば、生きていくしかなかった そんな中 旦那が仕事で一千万以上の赤字を出した 一千万は会社に報告 それ以上は報告できず 生命保険を勝手に解約 保険証書は私が握って
仙台の生活に慣れた頃 東日本大震災を経験した 凄まじい揺れだった 聞いたことがない大きな地鳴り 地球の唸り声のようだった この世の出来事だとは思えない 目にするもの全てが形を変えていた 大家さんから 「倒壊するかもしれないから、 マンションの中には入らないで」 そう言われて 息子と二人、避難場所まで歩いた この時、息子は小学一年生 喋れない息子は泣くことしか出来ない 避難場所での息子の行動は 周りの人に不快感を与えていた 倒壊するかもし