弱視と難聴であるわたしの見え方・聞こえ方
わたしはオーディトリー・ニューロパシー〈Auditory Neuropathy〉だ。ANと呼ばれているこの障がいは、純音聴力検査では両側低音型障害、語音張力検査では最高明瞭度が50%以下、耳音響放射は正常反応、ABRは無反応という検査結果になる。
つまり、音は聞こえているけれど、言葉の聞き取りが著しく悪い難聴だ。静かな場所での1:1の会話なら問題ないけれど、にぎやかになると急に聞き取れなくなる。多人数での会話はできない。補聴器の効果も薄いけれど、人工内耳にすると効果が見込める。そんな難聴だ。
これは、わたしが10歳のころ、1996年に報告された新しい障がいのため、わたしがこの障がいであるとわかったのは、20歳過ぎてからだった。
聞こえにくい気がするけれど、聴力検査では音は聞こえてる。なんでだろう?
ずっと原因がはっきりしなかったしそれまでは、原因不明の視覚障害である弱視だということしかわかっていなかった。でも、本当は、中学生のときにわかった聴覚障害に伴う二次障害が視覚障害だったのだ。
弱視は、子どものころから、両目0.01。0.01というのは、全盲の一つ前であり、視界はぼやぼやしていて、色も文字も顔を近づけたり、ルーペや弱視用メガネ、拡大読書器を使わないと見えないほど。でも、わたしは、これが生まれた時からなので、「見えてる世界」をまったく知らない。だから、「ぼやけてるんでしょ?」と聞かれても、ぼやけて見えてる自覚は全くなくて、ぼやけてると思っていない。
でも、顔のパーツがはっきりわかるのは、顔をすごく近づけたときと、写真を見たとき。
隣りに知り合いがきても、声をかけられなければ、人が来たなとはわかっても、それが誰なのかはさっぱりわからない。〈よく知ってる人は、雰囲気でわかることもある〉
車がそばを走るのは見えるけれど、中の人までは見えない。
信号機は赤が青になったとかはわからないけれど、上から下に光が移動したのが見える。
建物はなんとなくわかるけれど、近くに行かないとそれが何の建物なのか、何のお店なのかはわからない。
子どもは走って行ってしまうとどこに行ったかわからなくなるし、同じくらいの子どもがたくさんいると、どの子が自分の子どもかわからなくなって、違う子に声をかけてしまう。笑
他にもたくさんあるけれど、少しずつ書いていきたい。
まったく見えないわけではないし、生まれた時からこの視力のわたしには普通の世界だけれど、見えてる人たちからすると驚くほど見えていない。
そんな感じの見え方だ。
弱視も難聴もどっちも少しは見えてて少しは聞こえてる。
見えにくくて聞こえにくい。それがわたしの世界なのだ。