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わたしは令和の子どもになりたい
わたしの2回目の企画【自分が今の時代の子どもだったなら】。締め切りまで残り10日となりました!現在、16作品の素敵なエッセイ・短歌・イラスト・小説が届いています!
どんなジャンルでもOKにしたら、こんなにも様々なジャンルで書いてくださって、その一つ一つがとっても素敵で、新しい作品に出会うたび、感動しています。全ての作品を、より多くの人に読んでほしいなぁって思っているので、マガジンを作成して収録して、さらに後日ご紹介させていただこうと思っています。
ぜひ、気楽な気持ちでご参加ください。
今日は、わたし自身の、【自分が今の時代の子どもだったなら】を書いてみたいと思います!
自分が今の時代の子どもだったなら
わたしが生まれたのは、1986年。子ども時代は、平成初期の時代だった。
視力が0.01~0.02ほどしかない弱視のわたし。普通の小学校で勉強することは、ときに辛い思いをすることもあった。
一番前の真ん中の席が、小学校時代のわたしの特等席。弱視用の斜めの机を使って、単眼鏡というもので黒板を見ていた。
単眼鏡片手に黒板の文字を読み取り、単眼鏡を机に置く。普通の教科書を、大きな文字に拡大してもらった拡大教科書を見ながら、すぐさま手元の弱視用メガネをかけ直し、ノートやプリントに書き込む。
拡大読書器と呼ばれる機械を、教室の端っこに置いてもらって、必要に応じてそこに移動し、勉強をしたり、テストを受けた。拡大読書器を一番前の席に置くと、画面の文字が後ろの子に見えてしまうから。
昔の拡大読書器はブラウン管でピントもなかなか合わなくて、分度器の操作もうまくできないし、地図を読み取るなんて苦痛以外のなにものでもなかった。
それでも、得意な国語や社会は家での勉強も気合いが違ったから得意だったし楽しく出来ていたけれど、算数や理科は目を使うことが多くて本当に大変だった。
放課後に、電車を乗り継いで40分以上かけて、弱視学級のある小学校に通ってマンツーマンでフォローしてもらうことで、普段の学校もなんとかついていけていたのだ。
家庭科の裁縫もどうやって乗り切ったのか覚えていないが、苦労したことだけは覚えている。
遠足や社会科見学は、単眼鏡を使っても上手に見れなかったし、元気な友達の後を追いかけることに必死だった。
もちろん、大変なことばかりじゃなくて、楽しいことも沢山あったし、大好きな友達もいた。わたしに様々な経験と人生において大切な出会いを与えてくれた、普通の学校に通えて良かったと心から思っている。
だけど、もしももう一度小学校生活を経験できるのなら。
できることなら、令和の小学生になって、令和の弱視として勉強してみたいのだ。
別に見えるようにならなくてもいい。弱視のままでいいから、令和の弱視児になってみたい。
傾斜机も、拡大読書器も、単眼鏡も、どれもこれも昔とは比べものにならないほどハイテクになり、使いやすいばかりでなくデザインもかっこよくなった。
わたしは、今の時代の弱視の学校風景を直接見たことはないから、確かなことは言えないけれど、それでもわたしが子どものころよりはずっと学習環境が良くなっていると思うのだ。
わたしが中学生のときには、一番後ろの席で、手元と黒板の両方を写すことのできる、遠近両用の拡大読書器を使えるようになった。
今は小学校でも遠近両用の拡大読書器を使っているのだろうか。しかも、わたしが中学時代に使っていたものよりも、もっともっと優れたものを。
パソコンのようなデザインで、あの頃よりももっとスタイリッシュでかっこよくて素敵な見た目になっている。
教室では、タブレットを使うことが当たり前になっているから、一人だけパソコンのような見た目の拡大読書器を使っていても、わたしは胸を張っていそうだ。
きっと、分度器も地図もはっきり見えるはず。
校外学習で出かけるときは、タブレットを持って行けばいい。タブレットのカメラ機能を使えば、単眼鏡よりもハッキリとなんでも見ることができるのだ。
景色も。動物も、科学館の中の不思議なものも、お寺も、昆虫も、空に浮かぶ雲も、遠くに見える友達も。
困ったときには、カメラでパシャッと撮って、指で大きくして写真を見ればいい。そうすれば、どこになにがあるかわかるから。これって、昭和はもちろんのこと、平成初期の弱視児には夢のまた夢。
運動会だって、発表会だって、なんだって工夫次第では’見る’ことができる。もちろん、そこにはサポートしてくれる周囲の優しさがあればだけれど。
もしも、自分が今の時代の子どもだったなら。
弱視のまま、今の弱視の子どもを経験してみたい!
もしも、わたしがコナンくんみたいに小さくなれたなら!
(あれ、話が変わった!?)
小学校1年生になって、見た目は子ども・頭脳は大人のままで、弱視の子どもとして頑張っている今の子どもに話しかけたい。
「しってた?昔よりも、弱視でも見えるようになったんだよ!昔から来たから知ってるんだ・・・」
って。子どもの姿で子どもに話しかけたい。
そんなことを思ったのは、人はやっぱり今に満足することが難しいと思ったから。
わたしが子どものときに、弱視の大人が言っていた。
「昭和の弱視は、リコちゃんみたいなこんなすごい機械使えなかったわよ!」
そう聞いても、わたしはちっとも満足していなかった。
「見えないし・・・ピンボケ疲れる~大変なんだけどなぁ」
って思ったりして。
そんなことを思っていたわたしが、あの頃の弱視の先輩のように、今の子どもを羨ましがっている!わたしのころに比べたら最高だよ!って。
きっと、今の弱視児も、その親御さんも、あの頃のわたしと同じように、
「大変なんだよ~」
って思うかもしれない。
そう思うことは当たり前なのだ。
それでも、大人になった今、自分が通り過ぎた道を歩いている弱視児たちには、どうか自信を持って歩いて行ってほしいと思うのだ。
平成初期の弱視より、ずっと世界を見ることができるようになったんだよ
令和の子どもになるイメージから、
そんなことを考えてみた。
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