世界の解像度

僕はよくわからない性質で、高尚なものと低俗なもののどちらも等しく愛している。例えば、オペラや茶道などといったものに身を浸すときもあれば、人の悪口ばかりが書かれている週刊誌を読みたくなる時もある。
人の心を埋めるには、どちらもふさわしいとは思うが周りにはどちらか一方だけを愛する人が多い。
高尚なものが好きな人は低俗なものをあまり良い顔で見ないし、低俗なもの(彼らにとってはきっとそうではない)を愛する人は高尚なものを鼻につく、と表現する。他人の生き方に全く興味がないのでどうでもいいが、なるほど、相容れないものでもあるのだなあと思う。

そもそも、優劣なんていうのはどこぞのお偉いさんか意識の高い人が決めた枠組みであり、どちらが高尚で低俗だとかそういう分け方はしたくない。
先人の知恵や仕組みは感心するしとても好きではあるのだが、悪しき風習は出来るだけ早めに失くすべきだとも思っている。

僕は仲間内で良く「おかしな人間」と称されることが多い。それはきっと興味のあるものや死生観が独特だと指摘されるからだろう。
以下、僕のなかなか理解されない趣味を暴露しよう。
あくまで自分は知識欲のためにこれらのものを好んでいるということを念頭に置いてほしい。
※リンク先は閲覧注意

シリアルキラーと呼ばれる人たちの話を読むのが好きだ。ある意味学者的な視点からみている。犯罪心理学をかじった経験のせいもあって、どうしてそうなったのか、そういうのはなぜかという部分がとても気になる。手口と思考に興味があるのだ。ジェフリー・ダーマ―の人生など、非常に興味深い。グロテスクな描写に耐性のある人は調べてみてほしい。

樹海の散策レポを読むのが好きだ。樹海で死体探し、という目的が半分、研究が半分のレポには知らない世界が広がっている。亡くなった方の残していったものが写真付きで載っているものは、なかなか見られないだろう。死生についてよく考えさせられるものは善い。生きることは死ぬことと隣り合わせだということを、自覚させられる。

ホームレスインタビューを読むのが好きだ。今や見かけることも少なくなったホームレスだが、それは僕たちの目線が高くなったからだと気付いた。そういう人たちがどうやって生活しているのか、どういう風にものを考えているのかに興味がある。将来的にホームレスになるかもしれない、という予感もするのでその下調べという意味もある。

特殊清掃の特集を見るのが好きだ。これも、遠くない未来に自分がそうなったことを予感して、事前に勉強したいという気持ちからきている。人が死んでしまうとどうなるのか。「死」に近い職業にも興味がある。葬儀屋に転職を考えているレベルなので、死が身近なものをやってみたいのだ。

精神的ブラクラが好きだ。ただただ人間が不愉快になるためだけに作られた映像や画像が好きだ。僕の一番好きな感情が恐怖だからかもしれない。人間の感情で一番美しくて深く刻まれるのは「恐怖」だと思う。少なくとも自分はそうなので、恐怖という感情を人工的に作るダークウェブは素晴らしい。僕も人を恐怖に陥れたい。

とまあ、思いつく限りを書いてみたのだが、確かにこう見たらなかなか理解されにくいのが理解できる。


書いていて気づいたのがどれをとっても、共通して「恐怖」という感情が生まれるということだ。僕は心の底からの恐怖を欲しているのだと思う。
心を満たすための趣味と、心を傷つけるための趣味が自分の中にあり、上記のものたちは後者に値する。きっと僕はこれらを見ることで傷つき、再生している。
この循環が僕には必要なのだろう。

知らないことを知りたい、という欲もきっとある。ソクラテスの「無知の知」という言葉が好きなので、知らないことを知っているし、だから知らないことを知りたいと思う。そこに恐怖のエッセンスがあったら最高のごちそうになる。

綺麗なものだけを見ていきたいと、そう思っていた時期があった。人間としてそれはきっと正しい感情だったと思うし、そう思って生きて言ったほうが純粋なままでいられただろう。でも僕は「恐怖」という感情の尊さに気づいてしまった。「嬉しい」「楽しい」「綺麗」だけでは世界は作れない。僕はそこに「恐怖」「嫉妬」「恨み」を取り入れることによって世界の解像度を上げている。

陰と陽、があるように片方だけを摂取しすぎてもいけない。両方を天秤にかけて、水平を保たないと、世界は高解像にならないのだ。

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鬼堂廻
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