見出し画像

「ポーの村」2020年10月22日の日記

朝から気分がすぐれなかったので、「ポーの一族」を読むことにした。

いつから傍らに置いてあったかわからないけれど、この物語は僕の心の隅に常に佇んでいて、自分自身の「よりどころ」となっているのもまた事実だ。薔薇の咲く村・ポーへ帰りたい。そう思うことがある。
生きた年数が僕より数倍ある友人と、時々ポーの村の話をすると彼もまた、「早く帰った方がいいよ」というので、僕はやはりポーの村出身なのかもしれない。そんなことを考える。

僕は少女趣味があるもので、年甲斐もなく甘美で感傷的・夢想的な情緒を好んでしまう。だが、それは現代的な流行りものではなく、数十年前の乙女でなくてはいけない。
広尾に行けば「それいゆ」に足を運んで中原淳一の描く少女にうっとりとした気分になったり、本屋に行っては萩尾望都先生の漫画を手に取ったりしてしまう。そういう癖がある。

友人から、誕生日の贈り物でインクとカードとメモ帳を貰った。
人間失格のモチーフインクというものらしく、以前本屋で見かけてほしかったものだった。文豪シリーズで他にも「檸檬」だとか「山月記」があったのだが、僕に人間失格を選ぶあたり、「わかっている」なあと思ってクスリとしてしまった。
カードとメモ帳は星の王子さまのもので、僕はこの物語も大好きだ。
優しい気持ちになりたいときは絶対に星の王子さまを読む。寄り添ってくれる1冊を知っていてもらえるというのは、とても嬉しいものだ。

通ぶって、マイナーな本を読んでそれを好きだと吹聴したい時期もあったが、それは当に通り過ぎた。有名になった本は、そりゃあ面白いに決まっている。太宰だって、宮沢だって、面白いからこの時代まで残っているのだ。
他人からの言葉を聞き過ぎずに、自分の感性を信じるのが良いのだと、僕は最近になって思った。


たまらなく厭になった。成長していくことも、自分が理想のものではないことも。
昔、ひとに言われたことを思い出した。
「変わらないものでいられると高慢な人間は馬鹿だと思うけれど、君には変わらないことが出来ると思う。でも変わることを恐れて苦しんで、哀しんでいるのが一番きれいだよ」と。
その言葉にずっと囚われているのだ。
変わることが怖い僕も、苦しんでいる僕も、僕が受け入れられるのはこの言葉があるからなのかもしれない。
そう思うと、何が良くて何が悪いのかわからなくなった。

今日は思考がとても不思議だ。


いいなと思ったら応援しよう!

鬼堂廻
有意義に使わせて頂きます。