悪しきもの5箇条
無知が嫌いだ。
無知であることを恥じずに許容してのうのうと生き、周りから「馬鹿だな」と思われることが耐えられない。舐められたくないという精神が根底にあるのはもちろんのこと、自分の知らないことがあるのが嫌なのだ。好きなものに関しては特にそれが顕著だ。徹底的に調べ上げ、対象に関する情報はすべて持っていないと気が済まない。
知らなかったから、は言い訳にすぎない。
他人はどうにも思わないが、自分はそうならないように気を付けている。
精神的に向上心のないものが嫌いだ。
無知の件にも通ずるものもあるが、現状で良いと思って何もしないことが嫌いだ。泳ぐのをやめたまぐろのように、窒息死してしまうだろうというのに、何もしないことが嫌いだ。かといって「日々成長」なんていう綺麗めいた言葉を掲げて誇示することも嫌いだ。努力をひけらかす真似をするのもカッコ悪くて見てられない。
学ぶ気持ちのないものが嫌いだ。
勉強なんて出来るに越したことはない。戦うための武器を自ら減らす愚か者にはなりたくない。知識は武器だ。いくらでも持っていた方がいい。どんなものが前に立ちはだかってくるかわからないのだから、いくらでも打開策を知っていた方がいい。無駄な知識を含めて、知らないことがこの世にあることが気に入らない。
馬鹿だからさ、なんていう言葉は愚劣なものが逃避のために使う言葉である。
自信がうぬぼれになっているのが嫌いだ。
強さを誇張して自分に言い聞かせている様は実に滑稽である。あまり強い言葉を使うなよ、弱く見える。といったキャラクターのいう通りである。虚勢は強さではない。独りよがりで良いと思って周りを見られていない時点でそれはもう自信ではなくうぬぼれである。
真の強者は己を称えすぎない。周りが称えるのだ。
気付けないことが嫌いだ。
無知の知とはよく言ったもので、自分は無知であることに気づいたうえで学ぶ姿勢を忘れないようにしたい。
些細な周りの変化にも気づけないということは、危険察知能力も乏しい。いざという時に備えてわずかな変化にも気づけるように努力していくべきである。道化師の皮を被って何事にも目を光らせておくのがちょうどよい。敵を欺くには味方から、である。
以上5種類の「嫌い」を明言す。