「新たな沼の予感と書けない病」2021年10月13日の日記

ダメかもしれない。もうやばいかもしれない。…スキズにハマってしまうかもしれない…友人に勧められてK-Popアイドルを色々見てきて、セブチだのTXTだのに片足を突っ込んでいた自覚はある。BTSはもう呼吸できないくらい沼に沈んでいるので良いとして、新たに勧められたスキズとやらにもハマってしまうかもしれない。
僕は治安の悪い男たちが好きなので、スキズのヒップホップゴリゴリの曲やMVがツボってしまった。怖い。これ以上はハマらないようにする。

昨日の仕事が忙しく、動き回っていた反動で今日は何もやる気が起きないでいる。それにしても、急に寒くなったと思う。地球、気温調節下手すぎやしないか?

今晩は帰省を予定している。数年前に帰省したときに、鈍行列車の中で「魍魎の匣」を読んでから僕は帰省するたびに魍魎の匣を読みたくなってしまう。まあ、作品の中にも「取り急ぎ帰省した」という文章が印象的に使われているせいもあって、帰省中に魍魎の匣を読むと没入感が凄いのだ。なんだかこういう話、昔もした気がする。昔日記に書いたような…後で探しておこう。

やる気が起きないので何か書こうと思って日記を書いているが特に書くこともなくどうしたものかと頭を抱える。好きなものの話でもしようかと思ったけれど、どうにも筆がのらないものである。

それにしても、田舎の温泉で執筆作業をしたいものである。昔友人とした執筆旅があまりにも楽しくて濃密な時間だったので再びやりたいと思っている…。なかなか時間を作ることが出来ずにいて申し訳ない気持ちになる。環境を変えて執筆作業をすると捗る。そりゃ文豪はよくホテルで書いてたわけだと思う。環境を変えることで程よい刺激が得られるのだろう。

純文学と呼ばれるジャンルの何かを書きたいと思うのだが僕の脳みそがそこまで到達していないようで、書くに書けない。純文学は難しい。読んでいる分には実態が明確につかめるのだがいざ自分が書くとなると霞のようにその実態は消えて行ってしまう。純文学とはなんなのだろう。そればかりを考えて筆を執る気にもならないのだ。つまりのとど、勉強不足と知識不足ゆえの悩みなのである。勉強しよう。

評価が可視化されることで弊害が起こりがちである。まあ単純に「いいね」にこだわり過ぎてはいけないという意味だ。色々なSNSで「いいね」機能なるものがあるため、自分の作品評価が可視化されやすくなっている世の中である。自分の作品がどのくらい見られているのかという面ではいいのだが、誰かと比べたり、少ないからといってあからさまに傷ついたりしてはいけないのだと思う。「いいね」を貰うためだけに何かを作っているわけじゃないということを忘れないでいたい。

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鬼堂廻
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