「気づき」2021年10月6日の日記
最近自分について気付くことが増えた気がする。僕は昔から自分のことをあまり理解しておらず、何が好きで何が嫌いなのかというざっくりとした見解でしか生きてこなかった。自分の感覚が自分のものじゃないように感じてしまう精神の病気のせいでもあるとは思うが、最近になって少しずつ自覚できるものが増えてきた。回復の兆しだろうか。
どうやら僕はコツコツ毎日何かを続けるのが苦手なようだ。「努力はすごい」みたいな文言を読んでは「努力するのは大事だな」と脳死して受け取っていた僕だが、全く自分は努力をしたいと思えないらしい。まあ僕のひねくれている性分が出てしまうんだけれど、「は?努力とか努力しようって思ってするもんじゃ無くね?」って感じ。本当に好きなものに対しては努力(この努力は僕は努力だと自覚していない)を発揮することが出来るのだが、苦手克服のためのコツコツした積み重ねが出来ない。毎日筋トレするとか、毎日料理を練習するとか…逃げの人生だったという話を昔記事で書いたと思うが、その癖がついているせいもあって、苦手を直視するのが怖くて向き合わないふりをしてしまう。わかっているけれど、治せない。
そして僕は飽き性のようだ。しかも無類の。こうやって文章を書くことが続いていることが奇跡だと思えるくらい、飽きっぽい。わ~っと熱が上がってわ~っと下がる。そんな自分の性も含めて「現代コンテンツの消費の速さ」を嘆いていきたい。「もう飽きてしまった昔好きだったもの」が星の数だけある。具体例を出せないほど記憶にも残っていない、可哀そうな一度愛したものたちが無数にあるのだった。そのせいもあって、ずばぬけて出来ることが無く、器用貧乏に毛が生えたくらいしか得意なこともない。本当に困ったものだ。
うだうだと色々なことを考え、時には物騒なことも思いながら毎日生活している。日々が実に早い。もう2021年も終わろうとしており、こわい。社会に出てみてから、あっという間に時が過ぎて行ってしまう。このまますぐ老人になってしまうんだろうな。
先日写真集を発売し、軽いイベントを行った。人数制限を厳しめに設定した甲斐もあってか、満員御礼だった。やはり直接会える環境というのは非常に元気をもらえる。定期的にああいったイベントは行っていきたいと思っているが、如何せんご時世がご時世である。無念。