エモってなに?
現代人は飽和している言葉の中で新しい感情に名前を付けがちだ。
最近ではこんな言葉をよく耳にする。
エモい
僕自身、「エモい」の言葉を投げかけられたことがある。SNSや実生活の中で「エモい」を聞く機会がここ数年で一気に増えた。この短い単語の中に何が詰まり、なぜそんな気持ちにさせるのだろう。
エモってなに?
天下のウィキペディア先生に聞いてみた。
エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本のスラング。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」、「趣がある」などに用いられる。
ふむ。わかるようなわからないような。
人によっては短いそんな言葉で集約されてしまうのは悔しいだとか、語彙が衰退していくとかそういうことを言って嫌悪するかもしれない。いつの時代も、新しく生まれたものは長いものに敬遠されるのだ。
実際僕はこの「エモい」を投げられて悪い気はしない。それはきっと投げかけてくる側の「エモ」と僕が作りたい「エモ」が同じ方向性だと感じられるからだろう。少なくとも、そういう人たちから投げられていることが多い。
この「エモい」という言葉に苦言を呈する人も多いと思うが、僕は案外好きだ。音の響きが柔らかくて詰まっている感じがする。
しかし、すべての感想をこの「エモい」に集約されるのはいささか悲しいものがあるので自分は連発しないように気を付けているつもりだ。
なので、自分なりに最近感じた「エモ」を、その理由も含めて分析しながら紹介していこうと思う。
1:気持ちのいい音楽エモ
Twitterで自作音楽を投稿しているshulaさんのこのビート。この方のビートは全部エモい。泣きそうになるサウンドなのは何故なのだろうか。
個人的エモpoint
・「夕焼けのビート」という語の組み合わせ
・少し褪せた色合いの動画、作品と場面のチョイス
・全体的なノスタルジックな雰囲気
このあたりだろうか。僕はこれらを語りすぎるのがやぼったいと感じたから、大きく息を吸って「エモ~!」と叫んだ。
2:街角のエモ
エモい。エモーショナルである。自分がそういう感情で撮影した写真だからというのもあると思うが、これはなかなかにエモーショナルである。
この写真のエモpoint
・夜道
・寂しいような寂しくないような
・緑の照明と歩道橋、そして似合うんだか似合わないんだかわからない缶チューハイ
こんなもんだろうか。雰囲気に酔いたくなってこんなことした気がする。摺れた雰囲気に溺れ死にたいときが人間にはあるのだ。かなり個人の主観的な「エモ」ではあるが、想像力を是非皆さんも働かせてみてほしい。
3:言葉の中のエモ
「私は過去の因果で、人を疑りつけている。
だから実はあなたも疑っている。
しかしどうもあなただけは疑りたくない。
あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。
私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。
なってくれますか。
あなたは腹の底から真面目ですか」 夏目漱石「こころ」
エモすぎる。こんなにきれいで苦しいセリフがあるだろうか。僕が単純にこの作品が好きだからかもしれないが、弱っているときにこのセリフを読むと百発百中で涙が出る。
個人的エモPoint
・先生の苦しい叫びと願い
・この言葉を言いたいし言われたい
・信用したいけれどできないという葛藤
文学と演劇を学んできて、良く先生が言っていたのが、「葛藤こそすべての物語だ」というもの。それがなければ世界は始まらないのだ。そしてこの言葉には、葛藤と苦しみと救いが凝縮されている。だから、エモい。
4:楽曲のエモ
藤井風である。最近メジャーデビューしたアーティストなのだが、圧倒的貫禄と技術とオーラを持つ。僕が彼を知ったのはカバー動画だったのだが、自分の魅力をここまで網羅している人間がどこにいただろうか。齢23歳とは思えないものである。
個人的エモPoint
・まるで昭和の名曲のようなサウンド
・なぜか懐かしくなる歌詞
・風くんの声
この曲を聴きながら、夜の高架下を歩くととんでもなくトリップする。何なんwという日常的にも使う言葉をここまでエモーショナルにできるのはなぜなんだ。何を食べて生きているんだ!教えてくれ!
5:感情のエモ
藤井風の動画についたコメントである。
このコメントを見た時も魂が震えるほどの共感と、こんな文章を書けるこの人への嫉妬と、エモさに涙が出た。
個人的エモPoint
・ぐちゃぐちゃの感情を吐き出している
・感謝と尊敬
・自分への諦め
これ僕が全く語彙力ないな。なんていうか。あんまり言葉にできないエモさがある。
高校最後の部活で結局予選敗退で今まで何してきたんだろうな、でもよかったのかもな。とか思う類のエモさ。
Youtubeのコメント欄でこんなに素敵なものに会うと思ってなかった。
まとめ
楽しんでいただけただろうか。考えるに自分は、切なくて苦しくなるような感覚が好きなのだろう。日常でも、非日常でもそういう感覚を求めている節がある。
切ない文学が好きだ。悲しくなる文章が好きだ。懐かしくなる音楽が好きだ。
自分の美学がきっと退廃的で厭世的なものに基づいているのだろうということを改めて感じることとなった。しかしこの感性は自分自身だけのものであり、外へ表現するにもきっとその7割ほどしか出せないだろう。
だから生み出すことをやめられないのである。完璧には程遠く、僕は僕なりのエモーショナルを届けられるように自分自身を搾取する。そうして、決して届くことが出来ない限界を追い求めて、そんな状況にまで陶酔し、エモくなる。
この世は、案外、エモの連鎖なのかもしれない。