心臓
僕は神だ。
この言葉を何度も自分に言い聞かせるように呟いてきた。それはあくまで自分が神になりたいという感情もあっただろうし、神だと言い聞かせたくて放った言葉だ。
言霊はあると思う。こうなりたいといったが最後、その通りになるとすら思う。だからこそ僕は自分を励ますために言いたくもない強い言葉を言ったりする。
人間が好きじゃない。
自分がわがままであることを許してくれない世界も、否定してくる人間も全部嫌いだ。その感情だけが一人歩きして自らの首を締めることは昔からよく知っている。
それでまた僕は自分が神じゃないことを悔やんで絶望する。おこがましい行動だと知っているくせにそういうことばかりしてしまうのは人間のさがなのか。僕はやっぱり、人間じゃないものになりたい。
できれば恐れられて。嫌いになって、それで忌み苦しめられるものとしてこの世に君臨したいのだと思う。
人間の記憶に残りたいのだと思う。何も残らず消えたいと友人は言ったが、僕は違くて、「来世の自分が何かを感じるために残りたい」と思う。これはかなりわがままだし利己的な考えだと思うけれど、僕は来世の自分のために何かを残したいと思うのだ。
トーマの心臓、という作品を知っているだろうか。
萩尾望都の漫画で、少女漫画の中でも最高傑作だと僕は思っている。
その冒頭で読まれる詩が好きでたまらない。
ぼくは ほぼ半年のあいだずっと考え続けていた
ぼくの生と死と、それからひとりの友人について。
ぼくは成熟しただけの子どもだ ということはじゅうぶんわかっているし
だから この少年の時としての愛が
性もなく正体もわからないなにか透明なものへ向かって
投げだされるのだということも知っている
これは単純なカケなぞじゃない
それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない
彼がぼくを愛さねばならないのだ
どうしても
今 彼は死んでいるも同然だ
そして彼を生かすために
ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんかなんとも思わない。
人は二度死ぬという まず自己の死
そしてのち 友人に忘れ去られることの死
それなら永遠に
ぼくには二度目の死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)
そうして
ぼくはずっと生きている
彼の目の上に
僕はきっと、この詩の、「二度目の死」を最も恐れていて、それがおとずれるくらいだったならばトーマのように誰かの中に生き続けるために悲劇的なものをもたらしても構わないとすら思っている。
そして、その誰かが僕のことを手紙や日記に書いてくれれば、何か形に残してくれればそれでいいと思う。
きっと来世の僕も、何か気づいて影響を受けてくれるはずだから。
そうしてやはり僕は、忘れ去られない者として神になりたいんだと思う。万人の神ではなくとも、誰かの神であればいい。
神様なんてものは感情の行き場がなくなったときに頼るところで良いと思っているので、僕もそうなれたらいい。