「こころ」2021年9月22日の日記
時々底知れぬ怒りとも悲しみともわからない感情に襲われることがある。ことあるごとに人生に絶望している。なぜ、といわれると困るのでわからない人は梶井基次郎の「檸檬」を読んでくれ。
なんだか日記に書きたいこともなくておろそかにしてしまっていたな。なんだかなあ。何を書いたらいいものかわからないけれどふと脳みそを垂れ流したくなったので久々にこうやって書いている。
僕は自分の書く文章がなかなか好きだ。まあ自分で書いているのだし当たり前といえば当たり前のことなのだが、自分自身の考えていることが言語として残るのは大切なことだと思う。言葉に出したらその言葉の形になってしまう感情もあるとは思うが、それでも、誰かに伝える手段としては言葉が手っ取り早いのも事実だ。己の感情を己のものだけで消化するのなら構わないのだが、僕はどうやらそれを表現したいという気持ちの方が強くなっているみたいだ。誰にも教えてあげない感情と、誰かに教えてあげたい感情というのがあるのもまた事実。難しいね。
京都に行った。鴨川を眺めながら夏目漱石の「こころ」を読んだ。僕はこの話がすごく好きで、高校生の時からしばしば読みたくなって読む。旅のお供にはこの小説がいいな、と思って本棚から持ち出したのだが、正解だった用だ。
僕は特に、「先生と手紙」の章が好きである。先生の過去と懺悔、罪悪感がひしひしと伝わってくるあの描写がたまらない。そして何より、Kの存在。僕はある種Kのようになりたいのかもしれない。一人の人間に一生忘れられないような傷を残せるような行動が出来るKに。襖に飛び散った血しぶきを鮮明に思い出してもらえるように。
誰かの記憶に残ることが僕にとって最も大事なことなのだと最近になって気づいた。自分が死んでも、誰かの記憶の中に生き続けられるのならそれで構わないとすら思う。その誰かが、僕の望む人であればもっと良い。そんなことばかり考えている。
最近は安定して文筆業をしながらのんびり暮らしている。突然写真集を作りたくなって作っているが、まあそれは別人格のお話なのでここでは割愛しよう。精神は安定していると思う。特に荒れている感じもない。ただ、酒の量が多くなってきた。薬は減ってきた。どっちがいいのだか。