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僕と紅茶と…

僕はゆるゆると紅茶を飲むことが好きで、それはその紅茶の香りだとか味とかに固執するわけではなく、ただひたすらに紅茶を飲むという行為、またはそれによってもたらされる空間や時間が好きだという意味に近い。
ふわりと立ち上るはるか遠くの国を想像させる香り。じんと腹の底から熱くなってくる感覚。ゆったりと流れていく時間と纏まらない思考が落ち着く瞬間。
そういうモノが好きで、僕は紅茶を飲む。
だから、正直言って茶葉には詳しくはない。博識ぶってこれはおいしいよなんていうけれど、僕は全ての茶葉を網羅しているわけでも、飲んだことがあるわけでもないことをここに断わっておきたい。
しかしどうしてだろう、紅茶を飲むときはどれだけとげとげしく摩耗された精神であってもゆっくりと安らいでいる。紅茶のリラックス作用だよといわれてしまえばそれまでだが、それではあまりにも浪漫が足りない。僕は文学作品や芸術作品から影響を受けて紅茶に安らぎを抱き、映画の中の登場人物たちの疑似体験をしたいのである。

久しぶりに、恩田陸の「象と耳鳴り」という短編集を読んだ。これは大学時代に同期から勧められて購入したものだ。もう絶版になっていて中古じゃないと買えない小説だ。この短編集の一番初めに収録されている「曜変天目の夜」という作品がある。僕はこの作品を読むたびに、紅茶を飲むたびに、思い出すことがある。
ネタバレを含んだ文章になるので、読む予定がある人は注意を。
「曜変天目の夜」は、主人公が美術館にその茶碗を見に来るところから始まる。曜変天目とは、漆黒の器の中に星のように見える様々な大きさの斑紋が散りばめられた最上級の天目茶碗である。その茶碗を見て、主人公は記憶の底に有った思い出を蘇らせていく。
その人は、紅茶を飲むのが好きな几帳面な人だった。主人公とその人はよく話をするために集まり、その人は紅茶を、主人公はウイスキーを飲みながら夜遅くまで過ごしていた。ある時、主人公はその人の遺体をみつけてしまう。特に事件性もなく片付けられたが、しばらくしてから主人公の元にその人から手紙が届いた。生前に書いてあったものを亡くなった後見つけ、気を利かせた弟子か何かが送ってくれたらしい。そこには手紙と、彼自身の髪がひと房、入っていた。「——年寄りのささやかな感傷」そう書かれていた。生前の彼の行動を思い返し、主人公は彼の死が自殺であったことを悟る。彼は紅茶に即死性のない毒を混ぜ、ゆっくりと死に向かっていたのだった。緩やかな坂を下るように、死に向かっていたのだ。そして、死ぬことを知っていた彼は痕跡を残した。
もう少し本編は続くのだが、僕が最も好きな箇所はここになるのでこの辺であらすじをまとめるのをやめよう。
僕はこの話の、自ら死を選び、ゆっくりとそこへ向かっていく選択が非常に好きなのである。しかも、紅茶で。
僕は紅茶を飲むたびに、この紅茶にも毒を混ぜてみて良いかもしれない、いや、ひょっとしたらもう混ざっているかもしれない。そんな気持ちになるのだ。

紅茶は僕にとって心を落ち着ける存在でありながら僕自身を蝕むかもしれない毒にもなりえる。そんなことを思うと、より一層紅茶でもたらされるゆっくりとした時間がたまらなく愛おしくなるのだ。
小説を読みながらのんびりとこの愛おしい毒を飲む、そんな時間を常に求めている。

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鬼堂廻
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