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あめえばぴぐでぶいぶい言わせてた時のはなし②

〜前回までのあらすじ〜
アメーバピグにハマった中学1年生の僕は憧れの新撰組に入隊した。そこで待ち受けていたものとは...!?
前回の記事はこちら

⑦隊士としての日々

新撰組一番隊隊士となった僕は毎晩のようにアメーバピグにログインした。
実際の新撰組と同じで十番隊まであり、各隊10名ずつほどが所属していた。
しかしその中でも毎晩ログインしている暇人は隊長クラスの人物と僕ともう1人の女の子しか居なかった。

大抵は居るメンバーで手分けして混雑しているワールドの見回りをし、屯所に戻って報告をする。
大体30分ほどで見回りは終わるので残り時間は新撰組のあるべき姿だとかをそれっぽく語っていた。

見回りしてどうするの???
と思った方も多いだろう。
バーチャルの世界で見回りなんて確かに訳がわからんだろう。

僕たちは見回りをして、当時「荒らし」と呼ばれる行為をしている迷惑な人がいないかを見張っていたのだ。
覚えているだけでも
・封鎖(狭い出入り口を捨てピグで塞いで一般の人が通れなくする行為)
・暴言(人を傷つける行為)
・痴漢(性的な言葉を浴びせる行為)
・ツール(特定の数列を呟くとPCが重くなり回線落ちする行為)
などがあった。

当時はピグ人口が多く、その分荒らしによって荒らされる事が多かった。そんな時僕たちが登場し、荒らしを退治したり、IDを控えて運営に報告したりしていた。

本当の新撰組が幕府の犬なら僕らはアメーバの犬だ。(といっても大義名分は無く、半分くらいは自己満足だったと思う)
しかしユーザーから感謝されることも多く、それなりにやりがいも感じていたのだった。

⑧脱退

昼は普通の中学生、夜はネット新撰組というカッコイイ2面生活を送っていた。
正直充実していたと思う。ピグの中では最年少新撰組で(年齢だけは明かしていた)幹部メンバーに負けない新撰組愛と見回り毎回参加のおかげもあってか一番隊副隊長に任命されていた。
中学1年生の冬だ。

この時暗いから近藤さんがちょっと三島由紀夫を名乗り出してビビる。(あっっれ〜政治的なアレソレかな〜)

そして事件が起こる。

土方歳三が脱退した。

正確にいうと、アカウントをまるごと消したのだ。
ブログも、作り込まれていたプロフも全部消えて、ピグのアバターもない。
リアルの生活の事なんか知らないから、きっと何かあったのだろうけれど、その時の僕は「土方さんが...なんで....」と悲しみに明け暮れた。
正直土方さんとの関わりはあまり無かったが、やっぱり好きな人物の名前を持った者が急にいなくなるのはやるせない。

緊急会議が開かれた。
「歳が居なくなった。できる限り捜索するが、見つからないかも知れん」

近藤さんはこんな事言って「泣く」というアクションをしていた。
僕らも「泣く」アクションをした。

消したアカウントの主をどうやって探すのか見当もつかなかったが、どうやら近藤さんは土方さんのSkypeを知っていたらしく、そこにメッセージを送っていたようだった。

そんな努力も虚しく2週間ほどが過ぎ、土方歳三は行方不明として処理された。

⑨任命

土方歳三脱退事件からしばらくが経ち、人一倍落ち込んでいた僕に沖田さんがめちゃくちゃちょっかいをかけてくる。

「君土方さんにぞっこんだったもんね〜なんでもいいけど、甘いものでも食べ行こうよ」

みたいな誘いを受けて沖田さんとプライベート(ピグの中だけど)で初めて隊服を着ないまま鴨川に行った。
鴨川は当時和系のピグに人気で、茶屋があった。
その茶屋で団子を売っており、購入して川を眺めながら食べた。

沖田さんが呼んだのかピグの追いかけ機能を使ってきたのかわからないが、近藤さんが登場した。

「こんなところにいたのかね」

隣に座った近藤さんとも他愛もない話をして、団子を食べて平穏な時間を過ごした。土日の昼間だったからか、人は多かった。

「隼人くん、土方歳三になる気はないかね」

おもむろに言った近藤さんに驚きを隠せなかった。
僕が土方歳三に!?どうしよう....と内心戸惑い焦りチャットを打てなくなっていると、沖田さんも言う。

「いい考えですね。やっぱり土方さん居ないと締まらないし、いつまでも穴があるんじゃねえ〜隼人くんならできるよ」

僕にとっては重々しい土方歳三の看板だが、他の人から見たら「ただの遊びじゃん?」というレベルなのかもしれない。認識の違いというのは怖いものだ。
こんなにあっけらかんと言われた土方歳三世襲だが、嬉しさもあった。

別に土方歳三になったところできっと仕事がキツイとかは無さそうだったが、大好きな人の名を名乗るハードルが高かった。

考えさせてくださいと言って形だけは考えるふりをし、その日はログアウトしたが、心の中では決まっていたと思う。

次の日の夜、ログインする時には土方歳三に寄せたアバターに顔を作り変えた。

そして名前を「土方歳三」にした。他の誰かが生ぬるい土方歳三をやるくらいなら自分がやった方がいい。そう考えた。

少し早めにログインしていた近藤さんに会いに行って、「土方歳三をやらせていただきます」と挨拶すると、近藤さんは笑顔のアクションをして「宜しくな、歳」と言った。

その日から「隼人くん」ではなく「土方歳三」としてアメーバピグ新撰組に存在するようになった。

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土方歳三アバター(再現)

当時、薄桜鬼が流行っていたので薄桜鬼の土方歳三に寄せていた


⑩土方歳三としての日々

当時貧乏クソ学生だったせいもあり、ゲームに課金なんぞできるわけもなく(どうやって課金するのお?レベル)家はスッカスカで衣装も隊服オンリーだった。

そんな哀れな僕を見て可哀想に思ったのか近藤さん(見るからに重課金ユーザー)がピグにギフト機能を使っていくつかプレゼントをくれた。

少しだけ泊のつく部屋にできた。

土方歳三になってからは見回りに行く回数が減り、報告が上がってきた要注意人物に注意メッセを送ったりすることの方が増えた。

自然的に近藤さんと話す機会が増え、近藤さんは三島由紀夫についていつも語ってきた。
僕は小説家としての三島由紀夫が好きだが、近藤さんは政治家としての三島由紀夫が好きだったらしい。知らんが。
アンジャッシュ状態で話していた。

土方歳三になってから、僕の代わりに一番隊副隊長にログイン率の高い女の子が入った。雪村千鶴という名前で、完全に薄桜鬼のヒロインの名前だ。

ピグでの立ち振る舞いも薄桜鬼を知ってる人なら誰でもわかるような千鶴っぽさがあった。

見回り終わりの雑談会で薄桜鬼の話題が出た時、千鶴は「沖田さんが好きですっ」と言って、なぜかうちの沖田がデレていた。
お前のことじゃねえだろ。

しかしこれが大きな悲劇を生むことになる。

11 総司

さてそんな人事異動がありバタついたのが収まった頃、僕は中学2年生になっていた。
1年の頃よりも知識が増え、土方歳三としてもなかなか安定してきた。

そんな時、監察の山崎から連絡があった。(メッセージ機能に)

「土方さん!!!!沖田さんが、駆け落ちしました!!!!!」

あ????????????


なんだそれは


慌てて屯所まで行くと、近藤さんが渋い顔(のように見える)で座っていた。

「歳、総司のブログを見てこい」

言われるがまま総司のブログを見ると、千鶴とのピグツーショット写真が載っており、「君を世界一幸せにする」みたいなポエムが一緒に書かれていた。

既に総司と千鶴は脱退しており、切腹免れない状況なのだが近藤さんはショックすぎてそれどころじゃないらしい。

切腹だなとか呟いて一人屯所を飛び出した僕。
総司の部屋に行って待ち伏せするがその日はログインしてこなかった。

戦意を削がれた僕は総司をそっとブロックしてログアウトした。


12 隊士の激減

それから隊士が一気に激減した。
沖田のことがあったから、とかではなく、高校3年生の年齢層が圧倒的に多かったからだ。
受験期を迎えた彼らがログインしなくなった。

仕方のないことだとはわかっていたが、残っている者としてはやるせない気持ちになった。

しかし活動を疎かにするわけにもいかず、少ない人数でできる限りのことをした。
なんだか実際の新撰組と似ている気がする。

近藤さんも2日に1回三島由紀夫になっていた。

この頃は斎藤一と良く一緒にいることになる。
沖田の後釜になった人も受験期であまりログインしなくなったためだ。
斎藤一はいつも豆腐がうまいという話をしていた。

13 初代土方歳三

ある日新入隊士希望者がやってきた。
伊東甲子太郎」という。
ダメだろその名前で入ってきちゃ。

伊東甲子太郎とは新撰組参謀の地位を利用して入手した情報を土産にして薩長に近づこうとした、まあ裏切り者みたいな人。

近藤さんが三島由紀夫になっていたので僕と斎藤一で面接をした。

当たり障りない事を言って、(それも伊東っぽいちょっと嫌味ったらしい感じ)土方歳三に若干の媚を見せてきた。人数も欲しかったし、まあいいかと入隊を許可した。

「ただ伊東甲子太郎という名前で新撰組に入ってくるツラの厚さだけは気に食わねえな」
みたいなことを言った。

「考えすぎですよ土方さん。今は江戸ではなく平成です。そうカッカなさらず」

みたいなやりとりして食えねーやつだなとか言って帰ってもらった気がする。
斎藤一に、「伊東派というふりをして近づけ。それで全部報告しろ」と指令を出しておいた。これは正解だったと後でわかる。

しばらくして潜入していた斎藤一が大きな証拠を掴んで帰ってくる。
「あの伊東は元土方歳三です。どうやらこの新撰組を乗っ取りに来たようです」
尻尾は掴んだ。急いで近藤さんを呼び出し、要件を伝えると直接伊東に掛け合うと言われた。

少し不安でもあったが近藤さんに任せてここは下手に動かない方が良いと思った。

それにしても、伊東の名前で乗っ取りに来るなんて、やっぱりあの中の人は相当新撰組が好きだったようだ。あの頃は「クソ野郎ー!!」と思っていたが、今ならうまい酒を酌み交わせる気がする。
まあきっと二度と会えないが。

それから近藤さんが話をつけたらしく、伊東とその仲間たちは破門した。
その後彼らが僕らの前に姿を現わすことはなかった。


14 新撰組のゆくえ

中学3年生になった。だんだんアメーバピグ自体が衰退していく。その理由として、スマホの普及があった。
同世代がガラケーからスマホに移行していくのを見て、パソコンがいらないからかと思った。

また、ピグの衰退はこれだけが理由ではない。
2013年の年齢制限による弊害が大きかった。当時入隊していた隊士の大半が同年代〜高校生が多かった。
この年齢制限は「18歳未満の人物は18歳以上の人物と関われない」という痛いものだ。
それだけではなく、18歳未満エリアしか立ち入りできなくなった。

近藤さんや斎藤一はとっくに成人済みだったが、僕やNew総司は未成年だ。これでは成り立たない。

近藤さんや斎藤一とはブログを介してコミュニケーションを取っていたが、不便で仕方がなかった。

それを彼らも感じたのか、どんどんログインしなくなっていった。

時々見回りを有志で行っていたが、そもそも荒らし自体も年齢的に上の人しかいなかったので、18歳未満エリアには荒らし自体登場しなくなった。

新撰組は「年齢」という大きな壁によって二分割されてしまったのだ。


15 新撰組のいま

アメーバピグ新撰組は、元の新撰組よりかはショボいが似たような最期を迎えるだろう。それはきっとアメーバピグが終わる今年の12月だ。

近藤さんは完全に三島由紀夫になり、もうコミュニティからも抜けた。斎藤一は、斎藤一としてまだピグを残しているが、最終ログイン履歴は467日前だ。
New総司はブログで「僕はもう終わりだ」と書いてからログインしていない。沖田総司としてではなく中の人としては終わっていないでほしい。

僕?
僕はまだ、土方歳三としてピグを残している。



16 今

面白黒歴史として茶化して書いたのだが、ちょっぴりノスタルジーが滲んでしまった。

アメーバピグ新撰組として、史実に基づいた終わり方をすべく、まだ僕は土方歳三として何かと戦っているつもりだ。

新撰組最後の隊士だったように、ネットという狭い電脳社会の中だがきちんと土方歳三として終わりにしたいというのが、僕のエゴだ。

こんなこと思っているって事はまだまだ厨二病が治ってない証拠だね

と、言うことで滅びゆく運命のアメーバピグ新撰組に乾杯!

最後に、今のアバターを掲載して終わりにしよう。

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羅刹化した。



END


#アメーバピグ #新撰組 #厨二病 #ありがとうアメーバピグ

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鬼堂廻
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