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「NO元気」2021年1月12日の日記

いつの間にか年が明けたが、年を越した感覚がない。
2020年はこれと言って何かできたわけでもなく、楽しみにしていたイベントやら展示がパアになって、そのせいで実に堕落的になってしまっていた。

さて、約1か月ぶりとなる日記になるわけだが、とりたてて書きたい内容もなく、ただ純粋につらつらと垂れ流したいことを垂れ流していこうと思う。
新年初の記事のくせに、昨年と何ら変わらない。

やはり僕に大きく纏わりついてくるものと言えばよくわからない靄だ。これを焦燥感と名付けるか、悲壮感と名付けるか、不安感と名付けるかはその時の気分による。3つまとめて薄く引き伸ばしたような感覚の時すらある。こうなるともうだめだ。何も手につきやしない。

幸福感、友人と共通の話題で盛り上がったり、オンラインで酒を飲み交わしたりすることは楽しいし幸せだ。だが、よくわからないところで靄が出現して心に洞が生まれてしまう。
幸せと不幸せをミックスしてペーストしたものをパンに塗って食べている感覚だ。

こんな感情ともうかれこれ5年ほど戦っている。正確には戦ってなどおらず、下手なりにどうにか付き合っているのが正しいのだが。

ここ数か月というものの、文章がてんで書けない。友人と文通しようにも筆が進まずそのままにしてしまっていて申し訳ないような気になる。でもきっと彼は優しいから良いよ、と言ってくれるんだろうけど。

難しい哲学の本を読んだせいもあり、幸せとは何かと考えてしまってだめだ。考えるものじゃなく感じるものなのだろうとわかっているのだが頭が追い付いてこない。そういうことばかりやっている。

最近映画も見られていない。
Amazonプライムにせっかく入っているのだからなにか見たいと思っているのだがどうにも集中力が続かない。10月くらいにみた映画のまとめも書こうと思っていて筆が進んでいない。

受動的な感性になりつつあるようで苦しい。

この頃は寒いせいもあってか21時ごろには布団に入ってそのまま眠ってしまう。これでは完全にお爺さんの生活じゃないか…
夢も特に見ないので疲れているのかな、と思う。疲れることなんかなんもしてないのにね。

今年はもう少し能動的に何かしていきたい。日記もそれなりに続けていきたいし、書きたいものもちゃんと書いていきたい。
頑張れ僕。

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鬼堂廻
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