ホルガ村に神はいたのか
友人に誘われて見た「ミッドサマー」の備忘録に近い自分の頭の中を整理するnoteである。
ネタバレを大いに含むので、見ていない人・ネタバレ厳禁の人は自衛を。
感想
簡単に感想を述べていきたいと思う。この映画、見た直後と見て数日たってからでは全く違う感想を抱かせる。少なくとも、自分はそうだった。
<直後>とにかく頭が痛かった。自分もハンマーで頭を殴られたみたいだ…夢見心地。もう二度と見たくない。批判コメント見てやろうイヒヒ…
<数日後>思い返してみると全部嫌いだったわけじゃないな…むしろ話の内容は好きだったんじゃないか…?画面も綺麗だったし、もう一回見てもいいかも…?
何故だろう。見た直後は友人との食事を断るくらい頭が痛くなり、余りにもトラウマに近い感覚を抱かされて途中退室もアリだったなと思うくらいだったのに、数日後にはもうミッドサマーの虜になっているかのようだ。見終わった直後はあまりの衝撃であまり冷静に映画を分析できていなかったのかもしれない。
これが俗に言う「ホルガ村から帰ってこられない」である。
数日間考えて、自分なりの最終的な感想をまとめてみた。
・話の骨格としては好き(宗教的な価値観、死を恐れない感覚等)
・映画を構成するすべての技術的要素がすごすぎて、観客のコントロールがすさまじい
・気持ちが悪い映画だったな
抽象化して抽象化したらこの3つに集約してしまった。
そして自分は、この映画に対する一番の感想は「気持ち悪い」だ。鑑賞後一貫して抱いた感想はこれしかない。そう、僕にとってこの映画は最高に「気持ちの悪い」映画だった。
気持ちの悪い映画
これはこの映画自体を批判しているわけでも何でもない。むしろ褒め言葉に近い意味で使っている。アリ・アスター監督の描きたかった世界は素晴らしく気持ちが悪い。
「キモーい」ではなく「気持ちが悪い」である。
映画とは、如何に観客に感情移入させ、心を動かすかどうかが大事だと思うので、そういう意味でもこの「気持ち悪い」という感情を高ぶらせて記憶に刻み付けたのは素晴らしいことだと思っている。
では、そんな「ミッドサマー」のどんな点が気持ち悪かったのか整理してみよう。
1:音響の重ね方
僕に大ダメージを与えたのはむしろこれなんじゃないかと思う。とにかく音響の効果がすごいのだ。音に敏感な自分はきつい場面が要所要所あった。
不協和音。不協和音に不協和音を重ねまくっている。なのに音楽としてなりたっているこの不安定さ。しかし、この不協和音こそが作品にとって重要な、「観客の耳にこびりつく無意識的な不安」を作り出している。
目は閉じられるが耳は閉じられない。
それをよく理解したうえで作られる音。始まりから重厚な音楽から始まり、電話の着信音の不安を煽る音へ繋がる。そしてサイレンの音から泣き叫ぶ声へ繋がる部分。音から音楽、音楽から音へのフェードインの重なりが絶妙だった。
物語の大半を過ごす「ホルガ村」でも、その音楽の効果は続く。平穏で美しいはずの風景をスクリーンに映しているのに、流れるのはクラッシックでも何でもない、民族音楽という名の不協和音。
明るい音色から重なっていく笛による不協和音は村に入った瞬間から流れている。メイクイーンダンスBATTLEでは軽快とは程遠い重厚な音楽。まさにバトル。
ラストシーンも、泣き声と重なって重々しく明るさを感じさせない音楽が流れる。正直ここで頭痛がひどくなり耳を塞いだ。
僕が最も耐えられなかったのは、「のちの熊さん、セックスしないと出られない部屋へ~ババアと共に~」からの「みんなで泣(鳴)けば怖くない!」の音の重なりだ。思い出したくもないので詳細は省くが、あの人間らしくない音たちがきつかった。
2:画面構成と効果
主人公、ダニーの視点から描かれるせいか、彼女の「うすぼんやりとした鬱状態の視覚」が凄い。ダニーは精神的なダメージを負っていて薬が必要なレベル。自分も一時期薬を飲んでいたせいもあり、まさに「わかる~」の描写が多すぎた。全体的にもやがかかっていてはっきりしない。そんなところも含めて、観客をトリップさせる。
また、画面の切り替わりも度肝を抜かれた。家族のことを言われてパニック状態になりトイレへ駆け込むダニー。天井からのカットはドアを超えた瞬間スウェーデンへ向かう飛行機のトイレのカットへと切り替わる。こんなに分かりやすく、かつ自然的に時間を飛ばす工夫は見たことが無い。
スウェーデンに着き、車を走られているところも素晴らしく気持ちの悪いカットが入る。それが、天地さかさまになるシーンだ。ここで日常じゃなくなりますよアピが凄すぎる。でも、あの天地がひっくり返る画面で、観客も非日常へトリップ出来ただろう。
視覚的に最も気持ち悪い効果は、「村についてから草木が歪む」ところだ。主人公たちが村へ行く前に気持ちよくな~る草を吸い込んでいるせいもあるが、とにかく花が歪む、木が歪む。グニャグニャと流動的に歪む。もしかしたら、三半規管が弱い人は無意識のうちにこれで酔ってしまうのかもしれない。
聴覚同様、視覚的にも観客を気持ち悪くさせるアイディアが満載なのだ。
次は、内容的に「気持ち悪い」と感じたものに触れていく。
3:ホルガ村
本当に気持ちの悪い村だな!という気持ちになった。しかし、自分は彼らの「風習」や「儀式」「死生観」については非常に理解ができるし共感を持てた。死をサイクルとして捉えて恐れないという面では日本の仏教にも近しい概念はあるし、気持ち悪くもなんともない。むしろ好きな価値観なのだ。
では、どこがダメだったのか。
あの村に「神」の描写が無いのが気持ち悪い。
彼らは宗教なのか。少なくともああいった儀式やしきたりがあるということは何かを信仰していると考えている。では、何を?
途中で先祖の木を大切にしている描写はあったが、あれが信仰対象という風には見えなかった。それならばもっとメインに持ってくるような気がする。障がい者のルビンか。彼は預言書を書くものであって信仰対象ではなさそうだった。
そう、ホルガ村にはどうして祝祭をするのか、何を祭っているのか、何を祝うのかが全く描かれていないのだ。少なくとも、自分にはそう感じられた。宗教という概念が存在しないのかもしれない。それならなぜ、祝祭が始まったのか。
わからないことだらけなのである。もし劇中にそういった描写があるのだとしたら教えてほしい。自分の見落としでないと胸を張れるわけではないが、少なくとも自分はそういった描写を見つけることが出来なかった。目的のわからない行為程気味の悪いものはないのだ。
また、個のない共同体としてのホルガも気持ちが悪かった。
どうして個がないと言い切れるのか。それは、「セックスにライセンスが必要」「感情に共感をして真似る」「全員で食事をとる」「死の年齢を迎えたら共同体に循環を与えるために自死」などに散りばめられている。
全てはホルガのため、ホルガは素晴らしいから。最悪のチームワーク善意。それを他の共同体のものに強要し、価値観の違いなど関係なく「よかったね~」と言っているところである。
ここが非常に現代的な歯車価値観に近くて嫌悪した。主人公は現代社会から土着的な土地に来たのではなかったのか。結局、どんな場所でもシステムは同じなのかと少しだけ落胆もした。しかし、主人公はホルガに居場所が(あくまで洗脳的ではあるが)見つかった。だからハッピーエンドにも見えるラストなのだと思う。
以上が自分のこの映画に刻み付けられた「気持ち悪さ」である。
ダニーのその後
ダニーのその後について考察したい。
ラストシーンで彼女は燃え盛る彼氏入り熊さん人形を見て笑みを浮かべるのだが、皆さんはハッピーエンドと捉えただろうか。
彼氏と別れ(物理)られて、自分に共感してくれる人々もいて、居場所を見つけられてよかった、と捉えるだろうか。
映画を観た直後、自分は「ハッピーエンドだぁ!」と思っていたが、冷静に考えたらダニーはきっと後1年ほどの命なのではないか。
思い出して欲しい。物語の中盤で、ずらりと並んだメイクイーンの写真たちを。10枚は超えるであろう数の写真は歴代のものだという。しかし、劇中にメイクイーンだった、あるいはメイクイーンと思われる女性の姿はあっただろうか。
そもそも、この「祝祭」自体、90年に一度ではないのではないか。
90年に一度ならば、あんなにスムーズに祝祭が進むとも思えないし、何より村の人間の年齢層のバランスが良すぎる。
90年に一度ならば、劇中耳についていた赤子の泣き声も説明がつかない。ルビンの存在からも近親相姦には気を付けているようだったし、外部からの血を定期的に入れるために祝祭はもっと短いスパンで行われているはずだ。
1年に一度か、もしくは夏至と冬至か。飛び降りの儀式は1年に一度、夏至だけかもしれないが。個人的には年に2度行っている気がしてならない。
そしてメイクイーンは、冬至の儀式で供物にされるのではないか。
夏至で太陽の元選ばれたメイクイーンは冬至で冬を明けさせるために、村のために供物として捧げられるのではないだろうか。
もしくは、貴重な「外部の血」として子供を産んだ後に「元メイクイーン」として捧げられるのではないだろうか。
上記はあくまで想像に過ぎないが、そうなると彼女がホルガ・サイクルにどこまでのめり込めているかが肝になると考える。
劇中、誰よりも「死」に関して敏感且つ多く関わってきた彼女がどこまで割り切れているか。その受け取り方によって観客はハッピーだったかバッドだったかを感じるのではないだろうか。
終わりに
久しぶりにこんなに一つの映画について文章を書いた。そのくらい、このミッドサマーという映画は印象深く、自分に物を考えさせる作品だったと言える。
好きか嫌いかで言うなら、好きな作品だ。ただ、もう一度見るのは数年先で良い。
この映画をセラピー的に感じるという人もいれば、途中退場してもう見たくもないという人もいる。いい意味でも悪い意味でも、多くの人の感情を揺さぶったという点で、映画史に残る怪作と言えるだろう。
見終わった後、嫌悪感と同時に襲ってきた不思議な夢見心地な感覚はこの映画を観たものとしか共有しえない。そういう点でも、是非気になったなら見てほしい。
気軽にお勧めできるものではないが、心に大きな印象とキズを与えるだろう。
そして、ホルガには神がいたのか。そればかりが気になって夜しか眠れない。