「あじふらい」2021年6月9日の日記
ま~た1ヶ月程度放置したわけなのだが。
うむ、どうにも今はスランプというやつらしい。
オリジナルの自分の文章を書くのにずいぶん行き詰っている。なんとなく思考を垂れ流すことでリハビリテーションにでもなればよいと思って筆を執ってみた。
文明化が進んだ世の中、今もこうやって文章はPCで打ち込んでいる。それなのに「筆を執った」というのはいささか表現に疑問が残るが、昔から使われている表現なので何気なく使ってしまう。
時代の移り変わりとともにそうやって意味が通じにくくなっていることばは多い。テレビの「チャンネルを回す」なんかも昔のテレビはダイヤル式で、それを回すことからきているが現代ではボタンを押すだけだ。
そういう、意味は通じるが本来の形とは少しずれた使い方をされる言葉に直面すると、「言葉の死骸だけが生き残ってる~!」と興奮する。
以前紹介した、ギャンブル狂いの犬という人がとうとう家を失い、借金返済のために精を出している。最近ではマシュマロという匿名でメッセージが送れる機能をつかって視聴者からの声に返信しているのだが、その内容がなかなかである。
彼のフォロワーの多くはギャンブル狂という属性に惹かれ、自分では身を置くことのできない生活を垣間見たい、という目的でフォローしていたのだろう。実際僕もその一人なので何も言えないのだが、その彼がまっとうに生きることを批判する人がいるのもインターネットらしいと思った。
対岸の火事のような気持ちで彼の人生の一部を眺めて、見世物的に楽しむ人が多く、大衆とは結局そんなものなのだと言う事を思い知らされる。
僕としては正直どう生きようが彼の人生だし良いと思っている。
僕は根っからのオカルトオタクなのだが、最近本当に身の毛もよだつような気味の悪い体験をしていない。
哀しいことに並大抵の映画では満足できなくなってしまったのだ。
ホラー映画を観ても大体の流れはわかってしまうし、ホラーとして刺さる構成のものが少ない。つまり、「ホラーストライクゾーン」が恐ろしいほど狭いのである。
オカルト映像で何が好きか、という話を友人とした。
僕はもっぱら「リング」に出てくる呪いのビデオの内容が一番好きだ。井戸の中から空を見上げる映像、鏡越しに髪の毛を梳く女、遠方を指さす白い頭巾をかぶった男、蠢く新聞の文字…こういう意味の分からない気味の悪い映像がなんだかんだいって考察の余地を残すから一番怖い。
そう、オカルトは答えが100%出ていてはいけないのだ。
読者や視聴者に考えさせて、想像の余地を与えなければならないのである。未解決事件などがもてはやされるのも同じ理由だと考える。
まあさて、そんな感じで持論を展開したところで1000文字超えたのでこれにて日記を終了とする。