なにもない夏
今年は何もない夏だ、と知人は口をそろえて言う。それはきっと、猛威を振るっている疫病のせいでもあるだろうし、例年を優に追い越す猛暑のせいでもあるだろう。
僕も、その2点、特に前者を言い訳に何もしない夏というものを実感している。
昨年のことをぼんやりと思いだしていた。過去の郷愁ばかりに気を取られてしまう悪癖はそう簡単に治るものじゃない。「過去ばっかり見ていたらだめだよ」というきれいごとを言ってくる人間とはあっさりと縁を切ってきた。過去を嘆くのが自分の傷をなめるには一番手っ取り早い。「まあ、あんなことしてたしな」とか「あれやったんだから十分だ」とか。過去の栄光にしがみついて未来から逃避するのが肩に力が入りきらなくてちょうどいい。
脱線したが、去年の夏はなにをしていただろう、と考えていた。
社会に出た1年目、学生時代の細々とした給料とは比べ物にならないくらいドカンと入るお金に喜び、色んなところに出かけていたと思う。趣味のことに9割くらい費やしていただろう。
作品作りにも精を出していた。ものを書くことをたくさんやったり、写真を撮りに行ったり。活動的だったと、思う。
しかしこの夏は本当に何もしていない。時勢にかこつけて何のやる気も起きないでいる。自ら行動しなければ意味がないなんてことはよくわかっているし、自分から動いた人間がどんどん成功をつかみ取っているのをこの目で数多見てきた。
でもどうにも、やる気が起きない。甘えだと言われたらその通りです、とうなずくしかないのだが、半ば慢性的な鬱状態が続いているので仕方がない。好きなこと、いや、好きだったことにすらあまり気持ちが向かない。本を読むことも出来ないし、音楽を聴くのも出来ない。聴覚過敏持ちなので電車がきついのもあり、仕方なく音楽を聴くことがあっても、自分から楽しんで音楽を聴くことが無くなった。本も、前は読みたくて読みたくて仕方がなかったはずなのに、今では目が滑ってそれどころではない。
この状況を打開すべく、文字を書こうと数週間前から奮闘しているが、全然かけたものじゃない。100文字書いて、消して。そんなことを繰り返していた。枯渇した資源からは何も生まれないように、知識欲もなにも枯れた僕からなにかが生まれることはない。そう思えば、本を読まなければいけないという気になるはずなのだが。
この文章も、ここまで書くのにずいぶん時間がかかった。書いてから、この部分は人を不快にするのじゃないか、誰かに嫌われるのじゃないか。そんなことばかり気になって、全く進まない。
人に嫌われることがいっとう怖い。自己というものをうまく認識できないせいもあってか、誰かから認識されていると自覚がないと、うまく息が出来ない。そのくせ、あまり人と関わりたくないとも思う。めんどくさい人間だ。
人間じゃないと思えるようになってからはずいぶん生きやすくはなったが、僕が身を置いているのは紛れもない人間の社会なのであって、うまく擬態するのがどうにも難しい。
こんなことを書いていたら、「中二病が」と思われそうだ。この話題はやめよう。
夏は郷愁的になれるから好きなはずだった。
そのはずなのになぜこんなにも気分が落ちてしまうんだろうか。
2020年は、とても空っぽだ。