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「カタルシス」2020年5月12日の日記

不安のようなものが巻きついたまま目が覚めた。漠然とした不安と得体のしれない焦燥感に駆られる。
こういう日は、何かよくないことが起こるのだ。自分自身の妙な勘は、よく当たる。

涼しいと思っていた朝だったが太陽が登っていくに連れて気温は上がっていき、外に出るのも億劫になった。しかし食うものが何もなかったので適当にコンビニへ行き、弁当を買った。大盛り、と名のついた炒飯弁当は予想以上に量が多く、今まではペロリと平らげていたというのに少々鈍足で食べた。夏場は圧倒的に胃の容量が小さくなる。夏バテというべきか。

昼あたりから友人と通話した。武将隊の話をしたり、廃墟の話をしたりと趣味の合う友人との話は楽しい。いつのまにか数時間が経っていた。だらだらとあれやりたいこれやりたいと話しながらそうしていくと、発想が湧いてきて、自分も頑張ろうという気になる。良い刺激だ。

午後はとあるイベントの運営会議をした。早く実現したいものだ。

本職の方がなかなか雲行きが怪しくなってきた。仕方のないことだろう。最悪のことを考えて就職サイトをなんとなく見ていたが全く性に合わないなと思ってやめた。そもそも働きたくないのだ。自分の根底が実用向きじゃないことを思い出した。できることなら自分の好きなものを表現して、それで生きていきたい。
夢ばかり考えてたくせに結局何も残さず僕は時間だけを消費してきた。一歩が踏み出せないのだ。一歩踏み出して掴んだ夢も、変化を恐れて僕は投げ出した過去がある。そんなのじゃダメだというのに。大切にすべきものがあるというのに僕はそれを自らの手で切って捨ててしまった。これを後悔と呼ばずしてなんと呼ぼう。しかし僕は後悔などしたくないと、見えていないフリをしているしし続けたいと思っている。矛盾だらけの人生だ。
後ろから走ってきた人たちに追い抜かれていくのは見慣れている。彼らが僕のことを振り返らずに、忘れてくれるように祈りながらその背中を足を止めて眺めるのには慣れている。その度に僕は僕をこの上なく殺したくなる。
できないことなど何もないのだ。やってみようと思えば、大抵のことはできるに決まっている。
僕は、僕自身に向き合うのが怖いのだろう。妙なところで完璧主義的な様がある。挫折が怖い。所詮逃げているのだ。僕は敗者だ。

急に世界が嫌いになった

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鬼堂廻
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