形容し得ぬ存在ということ。
あまり特定の人のことを書くと、書かれなかった人が悲しいかなと思ってしまって筆が進まない。
人間に優しいわけじゃないくせにそういう時ばかり偽善者ぶったことをしてしまうのは、「描かれなかった」人間に回ったときの虚しさを知っているからだ。特別だとおこがましく自負していたと言うのにその人の日常に片時も登場しなかったときの悲しさを知っているからだ。
でもそんなことをかなぐり捨てて書きたくなったので書く。そんなわがままを許してくれるか。
僕がその人の事を想うのは海に近いからだと思う。単純に彼の色が(ここでは彼、と書くが別に「彼」の意味が男性に限らないと、念頭において欲しい)「青」だからだろう。僕にとって、青は特別な色だ。
青と聞くと何を想像するだろう。海?空?宇宙?僕は1番初めに「海」が来る。海のない国で育ったと言うのに、海が好きだ。占い師の人に、「海のオーラを持ってる」と言われてからますます好きになった。
海は命が生まれる場所だ。そして、美しくて、雄大で、僕を飲み込んで溺れさせてくれる。数時間かけて海に行って、海を見て1日を潰すほど好きだ。そんな海の可能性を彼には感じる。
ただ、彼は「海が怖い」と言った。僕は海が怖いことも理解できる。むしろ、自分が怖いと思うからこそ海を愛しているのだ。恐怖が1番人間に深く刻まれる感情だと盲信しているせいもあって、そんな事を想うのだろう。これ自体自分の価値観の押し付けに過ぎないのだが、でも僕はこういう感性をしていると感じて欲しい。
彼が海を怖いと思うなら、僕は彼を銀河に喩えようと思う。
それは、僕自身が「銀河鉄道の夜」が好きで、宇宙という存在が好きで、という意味もある。海の次に銀河、宇宙が好きだ。僕のどうしようもならないところが好きだ。
彼と宇宙を旅するのも悪くない。銀河鉄道に乗って、ふと知らぬ星まで行って。振り返ってから青い地球を見る。そうして僕は彼に言いたい。
「君はあの青より深い色をしているよ」
と。
ふざけて「来世では番おう」なんて口にされて、僕は小さく笑うことが多いが、それは「今世では叶わぬか、寂しいなあ、ならば忘れないように生きよう」と思うからだ。こうして文字にするのは得意だが、いざ面と向かって言われると少しだけ勇足になる。そんな自分を誤魔化して笑みを浮かべるしかないのだ。
僕は形のあるものが好きじゃない。この身も、いずれ朽ちる「形」でしかない。尚更、形に縛られる関係性や存在が好きじゃない。
形容できない存在とは何か。
銀河鉄道に共に乗ってくれること。檸檬をデパートの画集に上に乗せて無邪気に笑ってくれること。少年の日のように、相棒とも恋人とも取れぬ曖昧かつ濃密で特別な存在であること。襖に飛んだ血飛沫を、書き留めてくれること。
僕は、そういう存在を。
そうして満月を見上げながら僕は彼のことを思い出す。月は青いわけじゃないけれども、昔の人は青かったともいう。
僕が住むべき都に居る彼へ、この文章を贈ろう。