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2023年10月17日の日記

結局継続は力なり、なのだ。
僕はNoteを久しぶりに開いて絶望した。

溜まりに溜まった通知に、更新が止まった自分のページ。あまりにも情けない。
僕には文章しかない、なんて散々泣き言いったくせにそれからも逃げているではないか。
そんなことばかり頭に蓄積されていく。

最近は特に老いを感じる。
脳細胞が死に、内臓が腐る感覚がある。困ったことに、もう良い歳になってしまっている。なのに僕は子供気分のままだ。
好きな映画を見て、友達と馬鹿なこと話して、それなりに仕事をやって、なんとなく腑抜けた毎日だ。
ひりつくような感覚が薄れてきた。
焦燥感はずっとある。でももっとヒリヒリする命の灯火があったのに、いまはぬるま湯に浸かっているかのようだ。

何かを作ったり何かを書いたりしたいと思う。
でも思うだけじゃやっていないのと同じだ。やらなきゃ意味がない。
そう思ってももう体力もない。
気力だけじゃ成り立たなくなってしまったことがただただ悲しい。

まあこれも逃げだよな。
時間がないと思っていても自分でどうにかしようと思えばどうにかなるもんだ。
甘えたことを言っている自分に嫌気がさす。

環境の変化はない。でも環境の変化がないから刺激が足りなくてもどかしいのかもしれない。
心と体のバランスは難しいと思う。
心は刺激を求めるが体は刺激を求めない。
全くもって難儀なものだ、人間は。

過去の自分に縋ろうと思って、ふと色々なものを整理していると、数年前に貰った手紙が出てきた。
きっと、生涯で一番好きな内容の手紙だと思う。
あの人は元気にしているだろうか。またいつか会えるだろうか。ぼんやりそんなことを思って、便箋を閉じた。
いつの間にか思い出になってしまった人からもらった言葉が最もきれいに感じるのはなぜなのだろうか。

見たかった映画の上映が終わってしまった。
いつだってそうだ。もたもたして、何かしようと思って、機会を逃す。
いつか行こう、ではもう許される年でもない。生き急がなければいけないと思う反面、もう自分で自分を許してやってもいい気がする。
でも自分で自分を許してしまったら、もう完全に生きている意味がなくなる。

気づけばもう秋。鼻先を通り過ぎる風に冬が混じっている。
冬は透き通っているから好きだ。夏程死の匂いがないのはなぜなのだろう。
冬の方が、人は死ぬのに。

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鬼堂廻
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