敗者の鎮魂歌
高校は一応進学校だった。中学でそこそこ良い成績だった僕は、県内一の進学校を勧められたが、現状のまますんなり入れる2番手の進学校を選んだ。努力もあまりしないくせに、勝ち戦ばかり求める性質は、この頃から変わらない。
県一の進学校で落ちこぼれるより、2番目で優秀になれる方が良いと思ったのもある。県内の大学進学を考えていた僕だったが、2番手にもそこそこ推薦枠があるのを知っていたからだ。「校風が合わない」だの「勉強以外もしたい」だの御託を並べて勧めを断り、勝ち戦ですんなり2番手の高校に進学した。
特に燃えるような闘志も持たずに入学して、中学の付け焼き刃の知識的勉学は全く歯が立たず、勉強面ではそんなに振るわなかった。
その言い訳に、部活動に熱中した。でも実際は僕にとっては部活動が本命になっていたと思う。あの頃は、やるべきことが可視化されていて無意識的に僕は僕のやりたいことを選んでいたのかもしれない。
部活では部長になったり、そこそこ県内で有名になったりした。凝り性の僕が最も凝れて打ち込める分野だったからだ。この部活に入ったことにより、僕は「教師になる」という確固たる夢を捨てたのもまた事実だ。
勉学という面で逃げ、推薦枠獲得には及ばないタイプの部活動で良い成績を修めていたら、当初夢見ていた大学に行けるわけもなかった。校内で総合的に優秀だった生徒に贈られる賞を受賞していても、マークシートの前じゃ役に立たない。
狙っていた推薦枠の方も、勉学で優秀だったものがさらっていった。
部活動を引退してから僕は、何もなくなった。
部活で逃れていた勉学に全うから向き合わなければならなくなったのだ。
塾に通わせてもらっている身でありつつも、友人と休憩室で何時間も喋っていた。友人は結局要領が良かったので短い時間でも要点を抑えられていたので問題はなかったが、僕の方は得意科目以外がめっきりのびなかった。
丸一日どんなに向き合っても理屈がわからないし、点数が伸びないので半ばアレルギー的になってその教科の勉強すらしなくなった。
僕が行きたいな〜と思っていたのが国立大学だったので一つの教科を捨てたらもうおしまいだ。完全なる文系なので、文系科目でどんなに補えても数学の穴埋めをするのは難しかった。
親の方はもう完全に国立以外は行かせないぞという姿勢だったので仕方なく僕は「教員になりたいので国立に行きます」という体を装っていた。滑り止めは受けさせてあげる、と言われた。僕は部活でやっていた演劇が出来る大学を選んだ。もうこの時点で僕の心は演劇をやりたい方に傾いていた。
センター試験のことは覚えていない。知らない学校に行って箱詰めにされて受けた記憶がある。結局数学は全然わからないので適当にマークをして終わらせた。文系科目はとにかくよく出来た。理科も案外悪くなかった。
このせいもあり僕は「本番に強いな〜」などと舐めたことを考えていた。
でも僕は自己採点で恐ろしいことに気付いてしまった。英語のマークシートがズレていたのだ。
採点結果は50点くらいだったと思う。
もうこの時点でうっすらあった「国立もワンチャンあるかな」という望みは抹消され、僕は残された国立二次試験をどうやってサボろうかという気になっていた。
二次試験は面接と小論文で、どちらも得意だったのだが配点的にはセンターの方が大きかった。つまり、大逆転なんてことが起きるはずもなく、二次試験はセンター点数が少しだけ足りなかった人が背伸びして入れるシステムだった。その時点で随分やる気を削がれていたのだが、親や担任からのプレッシャーで勉強を続けた。もうこの頃になると塾のパソコンでネットサーフィンをして時間を潰していた。
試験当日になって、理由は忘れたが遅刻しそうになった。母が焦って車を運転し、今日の夕飯なんだろうと思いながら後部座席に乗っていた。親は最後まで自分の子供を信じていたいものだろう。自分たちが育ててきた子の努力は報われると信じて、車を走らせてくれていた。チャイムの鳴るぎりぎりで滑り込むと、制服をきっちり着たセンター試験高得点保持者たちが僕を鼻で笑った。そんな様子が妙に苛立ち、「こんな奴らと同じ大学なんてまっぴらだぜ」なんてことを思いながら呼ばれるまで待った。
面接はグループ面接で、どんな人たちと一緒にやったかは記憶にない。面接官の顔すら覚えていない。
僕の妙に許せない性別的な話をされて、面接官に噛み付いたという事実はよく覚えている。何を言われたのか、何を言ったのかすら覚えていないのにその時に湧き上がった感情はよく覚えている。カッと頭に血が上って、早口で捲し立てたのだ。
そのあとどうやって帰ったのか全く覚えていない。
車の中で母親に面接官の悪口を言ったのはうっすら記憶にある。もう無理だな、と自覚して親も多分そう思っていただろう。
もちろん結果は不合格で、自動的に滑り止めに入ることになった。僕は別に悲しくもなんともなくて、それが申し訳なかった。演劇やりたかったし。なんて自分にも言い訳して、結果的には受験戦争に敗北したのだ。逃げて勝って逃げて勝って、大きな節目の博打には負けた。それも、自分の努力でどうにでもなる博打に。
僕はそれからささくれ立って、「勝者」であることに飢えた。だから大学では全く勝負をしなかった。負けるのは嫌いだ。だから僕は不戦勝の道ばかりを選ぶことにした。
たぶんあの時から僕は足を止めたままで、踏み出せていない。大したことない、前を向こうと思えばできることなのに、後悔なのか罪悪感なのか、僕が殺してきた未来の僕が今の僕の足を引っ張る。