日本が人手不足なら、なぜ私たちの給料は増えないのか?
このノートは、2018年9月に刊行された『データサイエンス「超」入門 嘘をウソと見抜けなければ、データを扱うのは難しい』の第6章「人手不足なのにどうして給料は増えないのか」を【無償】で全文公開しています。
編集者曰く、
「在庫から考えて、紙ベースであと1000冊売れたら増刷です」
という声を頂いたんで、ぜひぜひ手に取ってみて下さい。この無料公開を通じて、今まで本書の存在を知らなかった人に広まれば良いな、と思っております。
第6章の要点3つ
・日本の失業率はOECD国際比較でも低く、人手が足りないように見える
・しかし、人手不足を表す指標として用いられる「有効求人倍率」は有効求職者数が急激に落ち込むなど動きが変で、ちょっと疑ってかかるべき
・今まで10人でやる作業を8人で対応していた仕組みに限界が来たので、経営者もやむなく人数を増やしているだけ、という仮説が考えられる。売上が増えるわけでは無いので、当然給料だって増えないはず。
本文
人手不足への対策が急務だ
ハローワークで仕事を探す人1 人に何件の求人があるかを示す有効求人倍率が、バブル期を超えた。企業の間では人手を確保できず事業に支障が出ることへの懸念が強まっている。対策をいよいよ急ぐ必要がある。
(日本経済新聞 2017年5月31日より抜粋)
17年の失業率、23年ぶり3%下回る 雇用改善
労働市場が「売り手優位」になるほど、賃上げなど待遇改善が進みやすくなる。パートタイム労働者など非正規社員の時給は上昇傾向にあるが、賃金水準が比較的高い正社員の給与は高収益のわりに緩やかな伸びにとどまる。社会保険料負担の増加もあり、家計が自由に使える可処分所得は増えにくい状況だ。
(日本経済新聞 2018年1月30日より抜粋)
アベノミクス以降、実質賃金が減っている
雇用動向を示す有効求人倍率が上がり続け、失業率は下がり続けています。つまりどの企業も圧倒的な人手不足だと言われています。
では、私たちの給料は上昇したでしょうか。企業がより多くの労働者を求めている=人手の奪い合いになるからその分だけ給料が高くなるはずです。
賃金に関する指標の1つとして、名目賃金(支払われた貨幣額で表示された賃金)を消費者物価指数で割った実質賃金という指標があります。物価上昇率を加味した賃金だと考えればいいでしょう。図6-1のように推移しています。
2014 年ごろから一気に下がってしまい、30人以上の組織では3ポイント、5人以上の組織では5ポイントほど低下しています。2014年と言えば、安倍内閣がデフレからの脱却を目指して2%インフレ実現に向けて政策を遂行している最中です。
つまりインフレが少なからず起きたのに対して、賃金がそれほど上昇していないため、相対的に実質賃金指数が下がってしまったと言えるでしょう。
名目賃金はパートやアルバイトなどあらゆる労働者が含まれます。したがって、アベノミクスによる景気回復で雇用が増加したから、平均賃金が下がっているように見えるだけだという意見もあります。
同じく毎月勤労統計調査を見てみましょう(図6-2)。5人以上の事業所が対象の場合、一般労働者とパートタイム労働者の比率は2005年には25.3% でしたが2017年には30.8% に上昇しています。一方で13年かけて労働者総数の全体は700万人増えているのですが、そのうち一般労働者は200万人、パートタイム労働者は500万人です。
増加したパートタイム労働者数は全体を決定づけるほど多いとは言えないので、2014年を基準に考えても、「パートやアルバイトなど低賃金な労働者も増えて平均が下がった」だけでは、実質賃金指数が下がり始めた理由のすべてを解決できないでしょう。
つまり人手不足のはずなのに、ほとんど賃金は上がっていないのです。労働市場が不正常なのか、実は人手不足ではないのか、経済が活性化すれば給料に反映されるという考え方が間違っているのか、果たして何故でしょうか。有効求人倍率、失業率という2 つの指標をまず調べてみましょう。
有効求人倍率の急上昇はどうすれば説明できるのか
求人倍率は、経済統計指標のひとつです。仕事を探している人1人あたり何件の求人があるかを示しています。求人倍率が1.0以上であれば、仕事を探している人数より企業が欲している人数が多い状態を示しています。
求人倍率には2種類あります。新規求人倍率と有効求人倍率です。新規求人倍率とはその月新たに取り扱った求職者・求人数を示し、有効求人倍率とは先月からの繰越分を含めます。一般的には有効求人倍率が用いられるでしょう。
では、1993年から2017年までの25年間の、有効求人倍率の推移を見てみましょう。次の図6-3の通りです。
雇用形態は正社員だけでなく、パートタイマー、アルバイト、契約社員、期間工、労働者派遣事業、請負、嘱託などの非正規雇用も含まれます。そのため、2005年からは正社員のみの有効求人倍率も計測するようになりました。
パートを含めると2014年、パートを除けば2015年、正社員のみでも2017年に有効求人倍率が1.0を超えています。ものすごく右肩上がりの急上昇とも言えます。
では、現状は人手不足だと理解して良いかと言えば、違和感を覚える点が幾つかあります。有効求人倍率は有効求人数と有効求職者数で求まるので、まず、それぞれの内訳を表示してみましょう。時系列で過去と比較ができるよう、1963年から2017年現在までの推移は次の図6-4の通りです。
推移を見ると、有効求職者数は2009年をピークに下がり続ける一方です。ここまでの低さは1993年までさかのぼる必要があります。他の民間の事業も同じように求職者数は右肩下がりなのでしょうか。そんな訳ないですよね。
有効求職者数は「仕事を探している人数」ではない?
そもそも有効求職者数とは、職業安定所(ハローワーク)に登録した求職者数のみを指します。企業に在籍しながら転職した場合や、民間の求人広告・雑誌経由の就職は数字に含まれていません。果たして転職活動にしろ、パート・アルバイトにしろ、職業安定所での就職活動が選択肢に入っている人は、いまどれくらいいるでしょうか。
そのヒントになるのが、有効求職者の就職件数です。有効求人数のうち12万人から最大でも18万人ほどしか就職していません。しかも2012年の18万人をピークに14.5万人まで減少しています。
もっとも違和感を覚えるのは、有効求人数の急激な伸びです。景気の良かったバブル時代、実感無き景気回復と言われた小泉政権時代を大きく上回っています。アベノミクスの成果だと考えても、果たしてこんなに求人数が増えるものでしょうか。そもそも有効求職者がここまで右肩下がりに減り続ける中、職業安定所が「良い求職者照会先」とは思えません。それなのに、企業が職業安定所に求人を出す理由は何でしょうか。
そもそも有効求人数では「とりあえず求人を出した」場合と、「本当に人手不足でどうしようもなくて求人を出した」場合の見極めがつきません。就職活動で言えば、とりあえずエントリーシートを提出した企業なのか、本当に第一志望の企業なのか、企業からすれば見極めが付かないのと一緒です。
ちなみに、正社員のみに絞ったデータでも見てみましょう。上の図6-5のような推移になりました。
リーマンショックで一気に求職者数は増えましたが、以降は右肩下がりです。おそらく全体の傾向としてこうなっているのでしょう。
有効求人倍率とは2つの指標を割り算で算出して、求職状況を見るのが目的です。しかし、分母に当たる「求職者数」が目に見えて減り、分子に当たる「求人数」が明らかに異常な伸びを示しているのに、素直にこの有効求人倍率を受け止めて良いのかは疑問に感じます。
「一億総活躍」= 非労働力の労働力化
次に失業率を見てみましょう。
失業率の定義は所管する厚生労働省が単独で勝手に決めているのではなく、国連の専門機関である国際労働機関(ILO)が国際基準を設定しています。その国の特殊事情に鑑みて一部変更されていますが、基本的には同じです。
求め方は、失業者を労働力人口で割った値です。労働力人口とは、15歳以上、かつ労働する能力と意思をもつ者の総数を指します。一方で、15歳以上でも家事従事者、学生など労働能力はあってもその意思をもたない人、あるいは病弱者・老齢者など労働能力をもたない人も存在します。こうした層を非労働力人口と言います。労働力人口と非労働力人口の合算が、15歳以上の日本の人口と考えれば良いでしょう。
ちなみに労働力人口と非労働力人口は図6-6のように推移しています。
労働力人口のピークは1998年に迎え、以降は緩やかに下降していました。しかし第2次安倍政権後、再び労働力人口が上昇し始めています。その理由として、計測以降一貫して上昇していた非労働力人口の活用があげられます。女性活躍、一億総活躍と謳われていますが、要は減少を続ける労働力人口を補うために、非労働力人口に分類されている人たちを労働力に組み入れることが目的の政策だったと、このデータからは言えます。
失業率が低すぎる国、日本
失業者は「労働力人口」に分類されます。ILOに準拠して述べれば、労働力人口に分類される人の中で、就業しておらず、就業する意思はあり、調査時点からさかのぼって数週間以内に仕事を探している人、その割合が失業率です。
年間を通して失業率を計測した1973年以降では、上の図6-7のように推移しています。
バブル崩壊以降、失業率は徐々に高くなり、2002年には最大5.4%まで上がりますが、それから少しずつ下がっていきます。2008年秋に起きたリーマンショックで、2009年には再び5.1%まで上がりましたが、以降は下がり続けて、3%を下回るまでになりました。
ちなみに3%以下という失業率は、国際比較するとかなり低く現れています。OECDが発表した2017年失業率国際比較は以下の図6-8の通りです。
日本はアイスランドの次に低い結果でした。国によって法律、習慣など様々な事情も違うでしょうし、一概には言えませんが、日本は労働力人口に対する失業率が低い国なのは間違いないようです。
その理由として、労働者の解雇に対する規制が日本は厳しいから、失業者が出にくいという指摘もあります。が、OECDの調査によると、フランス、フィンランド、イタリアは日本よりも解雇規制が強いとされていて、「辞めさせにくいから」だけでは理由になりません。様々な要因が複雑に絡み合い過ぎていて、なぜ世界と比べて日本の失業率が低いのか、ひとつの原因だけでは説明がつかないでしょう。
失業率を良くするテクニックが使われている?
ところで、失業率3%という数字が怪しいと思っている人も中にはいます。実際は失業状態に等しいのに、就職活動期間を意図的に短く設定して非労働力人口に見せたり、補助金を与えることで社内失業者を就業者に見立てたり、数字上見かけを良くするテクニックを使っているから3%台なのではないかという批判もあります。
こうした声は世界的に起きているらしく、2013年10月に開催された第19回国際労働統計家会議において「労働力の十分な活用が行われているか」という議論が行われ、いわゆる「未活用労働」が注目を集めました(図6-9)。
特に重要視されたのが、追加就労希望人口(A)や、非労働力の中で仕事はしたいけど探していない潜在的労働力人口(C)です。見方を変えれば、(A)まで含めて余っている労働力ですし、(C)まで含めて本当の失業率です。両方とも、今まで見過ごされていた「隠れた労働力」です。
日本政府では、失業率という指標LU1 だけでなく、(A)を含めた指標LU2、(C)を含めた指標LU3 、双方含めた指標LU4を2018年5月から発表しています。こちらも国際比較をしてみましょう(図6-10)。
韓国やイタリアでは、潜在的労働人口は失業者数以上にいると分かりました。これが故意か偶然かはわかりませんが、実際の失業率が隠されてしまうと、その国の労働政策にも影響が出てしまうでしょう。
それにしても海外諸国と相対的に比較してみると、日本は未活用労働力も低いようです。つまり余っている労働力はあまり無いと言えるでしょう。
しかし、だからといって「本当の失業者数」が少ないとは限らないのです。
この章のまとめ
別の角度の数字を取り上げます。日本銀行が全ての規模の企業を対象として、企業の雇用人員判断DIを発表しています。これは雇用状況が過剰と答えた割合から不足と答えた割合を差し引いています。つまりマイナスに行くほど、人手不足という意味です。
データの計測が始まった1974年以降の推移は以下の図6-11の通りです。
2000年代を見て下さい。リーマンショックで一気にプラスに高く転じていますが、以降は下降し続けており、失業率と同じような傾向を示しています。
しかし、その内訳となると相当ばらつきます。リーマンショック発生直前から現在までのDIの推移で、もっとも下落している業種とそうではない業種は、以下の図6-12のように違います。
特に大きく下落しているのは「宿泊・飲食サービス」です。とにかく人手が足りないのでしょう。一方で「繊維」「電気・ガス」「石油・石炭製品」などはDIが0を下回っているものの、リーマンショック以降ほぼ横ばいで推移しています。つまり特定の業種で人手不足が発生しているのだとわかります。
ちなみに、雇用人員DIがマイナスに下降している業種は、平均就業時間が減少している傾向がわかっています(図6-13)。2003年と2016年を比較すると、もっとも人手不足と言われている宿泊・飲食業で約6.8時間減少しています。一方で「電気・ガス」はほとんど減っていません。
労働時間の減少は、ブラックな労働環境に対する批判が強くなったという理由で説明できると思います。
すると、人手不足の可能性の1つとして、人手が足りないのではなく、今まで10人必要だった仕事を2人少ない8人で対応していた仕組みに限界が現れた、と見えなくもありません。ワンオペ職場を脱するため人手が必要なのに人が集まらないのだと考えれば、今までの雇用抑制が間違っていただけで、その反動にすぎないとも言えます。労働法規の遵守を徹底させることで、さらに求人数が増えるかもしれませんが、景気が良くなったゆえの人手不足とは言いがたいので、給料はなかなか上がらないかも知れません。
企業がより多くの労働者を求めている=経済に活気がある、と考えるのが一般的ですが、データからみると、そうとは言えない業種も中にはありそうです。その場合、失業率が低いからといっても、必ずしも労働者が有利だとは限りません。
このような状況下での就職活動は有利か不利か、という話もよく聞きます。売り手市場の今こそ自分をもっと売り出したほうが良いとも言われます。しかし本来なら、マクロ指標を見比べて大きなトレンドを追うより、あなた自身がやりたい仕事に就けるか否かが大事なのではないでしょうか。やりたくない仕事を無理して我慢しながら続ける人生の、どこが楽しいというのでしょう。
「データサイエンス「超」入門」には掲載できなかった漏れ話
くしくも、この本を刊行して以降、人手不足緩和による出入国管理法(入管法)改正案が審議されています。
本章では、本当に人手不足なら、まず私たちの給料が上がってしかるべきなのに何故上がらないのかに着目しました。「無理なオペレーションに限界が来ただけでは?」が松本の仮説です。
単に「猫の手も借りたい」だけで、給料を増やしてまでの話では無いよ、というのが実際ではないでしょうか?
本来であれば設備投資をして生産性を高めなければならないのですが、人件費を削ることしかしてこなかった日本の経営者は「ブラック企業」批判を受けて、対策として、とりあえず人手確保するしかできないでしょう。もちろんすべてが全てそうではないでしょうが。
日本の経営力って、こんなもんなんでしたっけ?