そういうふうに、まる子でできている。
1月7日。忘れもしない。ちびまる子ちゃんが放送をスタートした日。当時小学生の私は、この日をとてもとても楽しみにしていた。
待ちに待ったこの日、午後6時。その10分前には、テレビの前に正座をして待っていた記憶がある。今、この文章を書いていて、あの日の気持ちがよみがえってきた。オープニング曲にワクワクして、大好きな扉絵が出てくる。そして、まる子がしゃべって、動いている。夏休みになる前に朝顔や荷物をうんうん言いながらまる子が歩いてる。何度も何度も読んだシーン。ただただ感激感動。興奮していた。
あぁ、この日に戻りたい。
あれから何十年たった今もまる子が動いている。
タイトルにもしちゃったが、私の細胞にはさくら先生が届けてくれた笑いや生き方の感覚が浸透している。
どうしてそうなったか。
小学生の頃、母がりぼんを買ってくれて、そこにちびまる子ちゃんが掲載されていた。それから単行本を買い、いつでも読んだ。ゴロゴロタイムはもちろん、寝る前や、お風呂の中でもトイレに長居するときでも読んだ。友達と漫画喫茶へ行ってもまる子を読んで、お店で爆笑したこともあった。何度も読んだところなのに。それを大人になっても続けていた。
読むのはまる子だけでなく、エッセイやコジコジも何度も繰り返し読んでいた。そんな日常だったから、恐れ多くもさくら先生とリンクしていると言い張っている。まる子やエッセイを読んでいて、私と同じことをしている!と驚くこともよくあった。一番覚えているのが、神頼みをトイレで必死にしていたこと。私も小学生のとき毎日毎日、必死にトイレで神頼みをしていた。明日の学年集会でおならが出ませんように、と。
ほとんど顔出しをしなかった先生だが、ばったり出会ったら分かる!というよく分からない自信もあった。もし、ちびまる子ちゃんランドでさくら先生に出会ったら…。というもしもシリーズはよく妄想した。
どうしてまる子にのめり込んだのか考えてみた。
自分と同じところがあるからだな。
立川談志師匠が「落語は人間の業の肯定」とおっしゃった。まる子は落語のような話しだと思う。自分と重なるまる子を笑い、共感することで救われていたところがたくさんあったんだな、と今思う。それで、救いを求めるように?まる子を追っかけ、さくら先生を追っかけ、そのずっこけっぷりやおもしろハプニングに憧れた。インドで大麻豊さんという方にガイドしてもらうなんて…。そんな出会いを呼び寄せる先生は凄すぎる。
noteに書き始めたことをきっかけに、まだまだもう少し細かくゆっくりまる子や先生との勝手な思い出を振り返りたいと思う。徐々に。気持ちの整理も含めて。