性的少数者への差別発言と、「生まれ」を差別する人々
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首相、差別発言の秘書官を更迭 2023年2月4日 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6452801
「差別する人を許容することも多様性だ」という人がいる。多様性を理解していない人々の言葉だ。もっと言うと、多様性が成り立つ「社会の基盤そのもの」の構造を理解していない。
差別する人を許容することは多様性ではない。いや、多様性うんぬん以前に、「基本的人権の尊重」が守られていない状態なので、議論の俎上にも上がらない。
[憲法14条]
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的 身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない
誰もが学校で学ぶはずだが、日常で生活していると溶け込みすぎて忘れてしまう。だが、人権の大元はここにある。
性的少数者は、社会を壊したくてそうしているのではない。本当はこういうふうに生まれたかった、本当はこんなところで生まれたかった、本当は女性に生まれたかった、本当は男性に生まれたかった。
だが、誰もそれをコントロールすることはできない。生まれた場所や性別は自分で選べない。自分の力ではどうしようもないことによって差別されてはいけない。その前提のもとでなければ、現代の社会は成り立たない。
多様性は、そのような社会の上で成り立つ。
「気持ち悪い」と心の中で思うこと。これは内心の自由。これも憲法で保証される。だが、それを口に出すこと。自分の力ではどうしようもないことで人を差別すること、それは基本的人権の尊重に反している。
そしてこれを政治に携わるものが発言する。発言は、発言者によって「権力」が伴う。命令していなくとも、構造的な力が伴う。誰が発言するかによって、強制力が伴う。
つまりこれは、「秘書官が性的少数者に否定的な発言をした」レベルの話ではなく、「構造的に権力を持つものが、憲法によって守られている自分の力ではどうすることもできない生まれや環境を差別し基本的人権を侵害した」問題。
単純な「差別発言を認めろ」とはレベルの違う問題だ。
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