「感じる」ことと「考える」ことをどう受け止めるか? 考える機会ってこれまでありましたか? 産業カウンセラー養成講座⑩ レポートから。
感じると考える?2018年6月当時私はこんな事をレポートにまとめています。
「感じる」事は自分の中の感性に訴える事だと思っています。五感で感じる、感性で感じる。
「考える」ことはこれまでの自分が得た知識、経験に基づき筋道を立てて頭を働かせる事。
これは無意識の状態と意識の状態が脳の表面的な部分と深層的な部分の働かせ方に近い気がします。
普段私は会社の中で、ほぼこの「感じる事」は2割、「考える事」を8割で過ごしている、やり過ごしている気がします。
それは例えば部下との意思疎通の中でもそうです。
部下の次の仕事、取り組ませなければいけない仕事ばかりを「考えて」「考えさせて」感じるは後回しにしている事が日常の業務です。
でもその生活が長く続くとそれは普段の日常会話でも家族の気持ちを感じる事よりも家族の気持ちを「考える」方に傾いてしまい、
気持ちを聴く事が出来なくなり、話を聞いて考える事に終始している気がしています。カウンセリングの中の共感的理解、自己一致はまさしく、
この気持ちを「感じる」に五感を傾けなければクライエントとの共感的理解には向かえず、同感で終わってしまうのだと考えています。
自分の準拠枠を外してクライエントの感情を感じて、あるがままに受け止めて、伝え返せるカウンセリングが出来て、クライエントの感情の明確化が出来れば
私の自身の自己変容に繋がると感じています。それを目指していきます。
と2018年6月記していました。この時私は営業戦線の真っ只中にいました。7月に転勤を言われましたから、その直前のレポです。
4月からスタートした産業カウンセラー養成講座は少しずつ私の凝り固まった脳内を「溶かして」いったのです。
そうです
「溶かす」です。25年以上も営業という世界にいると脳内は固まってしまうのです。
誰からどう言われようと固まってしまうのです。常識と非常識という言葉は巷で使われますが何が常識で非常識でないのか。
誰のどこの基準で常識と非常識を決めるのか
常識と思われている事も、少し時間が経過すれば非常識に変わる。非常識な事は気づいたら常識に変わっている。
考えている事は「常識」
感じている事は「非常識」と言い換える事も出来ると考えます。
平成時代は非常識であった考え方も、令和で感じた事は常識になっている事も普通にあると思っています。
Google、amazon、Facebook、Appleこれって昭和の時代は非常識だったのではないでしょうか。平成には常識になっていましたが。
私が幼い頃見たアニメで「バビル二世」という漫画がありました。当時の私には衝撃的でした。
テレポーテーション、テレパシー、サイコキネシス、、、、
今で言えば テレポーテーションはストリートビューです。瞬時にそこに飛んでその景色を見る事が出来ます。 Skypeもそうです。まさしくテレポーテーションです。
テレパシーはメール、LINE、がそうです。自分が今考えている事を相手に伝わる、伝える。まさしくテレパシーです。
実はサイコキネシスも今存在しています。SNSで相手を攻撃して自殺まで追い込む。最近韓国でも人気歌手の女性が自殺していました。まさしくサイコキネシスです。
本当に便利な怖い時代です。
次回へつづく