聖書や出版物で繰り返し説かれる「懲らしめムチ」の重要性
聖書原理主義であるエホバの証人は、この世の終わりである最終戦争(ハルマゲドン)が迫っていると信じており、神に選ばれた善人のみが救済され、滅亡後の世界である神の楽園(パラダイス)に生き残ることができると考えている。そのためには神の律法や戒律に忠実に従い、更にはそれらを実践する必要があり、その一環として子どもに対しても神に選ばれるように正しく躾ける事が要求され、徹底した宗教教育が必要であると教えられている。
その宗教教育に関して、ものみの塔聖書冊子協会(以下、協会)は子育てや子どもに対する躾を『訓練』と位置付けており、信者向けの出版物(機関誌)である『めざめよ!』や『ものみの塔』などで、親が「ムチ」(正確にはムチ状の物)を用いて子どものお尻を叩くという体罰の行使が必要であるということを頻繁に強調している。
エホバの証人にとって重要視される聖書や協会出版物では、子どもを躾けるため、お尻にムチ打ちを与えなければならないという必要性が繰り返し説かれているが、それらには具体的な方法(どのような「ムチ」を使って、何回、どのように子どものお尻を叩けば良いのか、等)が書かれていない。(ただし、例えば、比較的古い1954年4月1日号の『ものみの塔』によると、懲らしめのムチの一例だと思われる挿絵が掲載されている。また、1979年8月8日号の『めざめよ!』には「ムチ」として用いられるべき物として親自身の手やものさしが例として挙げられているが、特定の物を「ムチ」として指定しているわけではないと考えられる。)
1960年代半ば頃に開始されたとされる「懲らしめのムチ」
懲らしめムチを行う具体的な方法は、以下のサイトや記事によると、1960年代半ば頃に聖書研究(エホバの証人に興味を持った未信者と共に組織の出版物の内容を勉強すること)や集会の際に突如発表されたとされる。エホバの証人の親たちは、子どもの中には悪魔(サタン)が棲んでおり、それを追い出すために聖書で説かれている通り、子どものお尻をムチ(当時の発表ではベルトや足踏み式ミシンベルト等)を使い、渾身の力を込めて20回ほど叩くように指導される。尚、懲らしめのムチが子どものお尻に与えられるのは骨折などの怪我につながる心配がなく、叩かれた痕が外から目立たないからとされる。懲らしめムチを終えた後、親は子どもを抱きしめるように指導される。
懲らしめのムチを行う際、子どもに自ら下着を脱ぐように命じる目的や、ムチ打ちを終えた後に子どもを強く抱擁する理由として以下のような見解がある。
1960年代から1970年代ぐらいの時期までは、上述のように、懲らしめのムチを行う際には、親が使用するムチの種類やムチ打つ回数、ムチで叩いた後に子どもを強く抱きしめることなど、一定の規則や制限が設けられていたように考えられる。
1980年代に入り更に厳しさを増す「懲らしめのムチ」
しかしながら、1980年代頃からは、ムチの種類としてベルト以外にも、電気コードやゴムホース等の使用も認められ、ムチ打ちの回数も1回の懲らしめにつき20回以上行っても良いとする風潮へと変化する。また、地域によってはムチとしてお尻を叩くために平手を用いることは相応しくなく、道具を使用するよう指示された例も存在する。
「懲らしめムチ」を推進したとされる「巡回監督」
巡回監督とは、「会衆」と呼ばれる、30~100名ほどの信者で構成された王国会館に集まる最小単位の集合体のリーダーである「長老」の中から選ばれた模範的な幹部信者である。巡回監督は、年に1~2度、所轄の会衆を1週間づつ巡回し、その役割の一環として、信者に対して講演を行ったり、信者達からの質疑に口頭で回答したり、相談に応じたりする指導的立場にあたる。一般の信者からは権威のある存在として捉えられ、巡回監督の指導は絶対的であり、異議を唱えることは非常に困難だとされる。そのため、仮に巡回監督が懲らしめのムチの必要性を説いた際には、信者達はそれに従わざるを得ない。
尚、懲らしめムチを行う方法については、巡回監督の他に、会衆内で最も権力のある地位である主催監督(現: 調整者)が講演の際に一般信者に指示した例もある。
他にも、講演の際に懲らしめにムチに関して指示や助言された例がある。
内容は以下の通りである。
・「どんなに子どもが小さくても、集会中は静かにしなければならないことを教えましょう。小さい子をしっかり訓練しましょう。」
・「親の皆さんはお子さんを愛していらっしゃるなら、どうぞ実際に鞭棒を用いることを躊躇しないでください。」
・「ムチは我慢できない程の痛みがないと意味がないんです。このくらいの太さ(直径1cmくらいの45cm程の丸い棒)があれば、思いっきりたたいても折れないでしょう。」
・「実際に使っていらっしゃる兄弟姉妹(エホバの証人の信者)も多いようですが、 ガス用のホースや電気コードを束ねたものなどは鞭棒として有効です。」
・ 「神は懲らしめを受け入れる場所としてお尻を創造されました。50回や100回叩かれても身体に異常が出ることなく、効果的に懲らしめを受け入れられる場所です。」
・「泣くのはその子にサタンが宿っている証拠です。自分からお尻を出して泣かずに鞭を受けるまで何度でも叩いてください。決して止めてはいけません。」
・「ムチをされて泣くということは悔い改めていない証拠である。泣くのをやめるまで叩きなさい。」
・「もしムチで子供の心が壊れたとしても、楽園に行けばエホバ神が全て治して下さるので何も問題は無い。」
一方で、方針として懲らしめのムチを推奨しなかった長老も少ないながらも存在する。懲らしめムチの是非に関しては地域差が大きいように考えられる。
子どもに愛を表す「懲らしめのムチ」
また、聖書や協会の出版物である『めざめよ!』や『ものみの塔』では、子どもをムチ打てない親は子どもを監督できず、子どもを愛していないと頻繁に言及されている。つまり、裏を返せば、懲らしめのムチを積極的に行うことは、子どもを愛している証拠となるのである。聖書原理主義のエホバの証人は(比喩表現を)文面通りにその内容を受け止め、その教えに忠実に従うのである。
従って、エホバの証人の親達は、子どもをムチ打つことは愛の表れであると解釈して、更に協会の指示も相まって、子どもにより激しい苦痛を与えられるムチ状の物を使用するようになり、積極的に懲らしめのムチを行った。子どものお尻を叩けば叩くほど、子どもの中に取り憑いている悪が削がれて、エホバに受け入れてもらえるようになり、滅ぼされずに救われて楽園に行けると盲信するのである。
殆どの子ども達にとっては懲らしめムチは単に恐怖でしかなく、親の目を気にするようになり、ムチで叩かれまいと必死に行儀良く振る舞ったようである。集会中などで大人しく姿勢を正し、講演に耳を傾ける子ども達の姿を見て、会館に見学に来た未信者の親達の多くは感銘を受けたという。
子どもに効率よく苦痛を与えられるムチの追究
同時期に、エホバの証人の親達の間では、懲らしめのムチが話題の一つとして頻繁に取り上げられた。主に、効果的に痛みを与えられるようなムチの種類に関する意見交換や、各家庭での懲らしめのムチの実践報告などが挙げられる。親同士の会話の例は以下の通りである。
・どのようなムチをすれば良いか
・より痛みを与えるにはどうすれば良いか
・傷跡を他人に見られた際に児童虐待と疑われるため、ムチはお尻に集中すること
・そのようなムチは甘い、ゴムホースの方が効果的
・跡がつかないようにするには、どんな叩き方が良いのか
・体に跡が残りにくいのは太めのベルトが良い
・泣いているうちは(子どもは)反省していない。ミミズ腫れになるほど鞭打ち、ひきつけを起こすくらいが良い
・(子どもの)口を抑えると叫び声や泣き声が外に漏れない
・子供に強い痛みを与えるようにゴムホースにワイヤーを入れたものが効果的
・東急ハンズなどで売っているシリコンの棒。 よくしなって、たたく音も出ないし、ものすごく痛い。 叩かれた子どもは大声で泣く代わりに「ヒィー」と悲鳴を上げるだけだから、静かで良い
・家ではムチを(和室、リビング、子ども部屋などの)壁にかけている。常に子どもの目に入るため気が引き締まり、抑止力にもなる
・最低50回は叩かなくては懲らしめにならない
・家では最低100回叩いている。自分からお尻を出せなかったら20回ずつ追加
・(子どもが)途中で姿勢を崩したら最初からやり直しさせるルール
・子どもが中学生になってもパンツを脱がせて厳しくムチをしている
・懲らしめの途中で(子どものお尻から)血が出た、血飛沫が舞った
・懲らしめのムチは(子どもの)お尻から血が出るまで行っている
・(子どものお尻の)ムチの痕は親の勲章
・子どもが見違えるように(親に)従うようになった。エホバは偉大
尚、以上のような内容を含む会話は、子ども達が一緒にいる場合(会話の内容が子ども達の耳に入るような状況下)においても平然と交わされることもあった。次第に、懲らしめのムチを行う親は素晴らしいと認識されるようになり、親達の間では、いかに厳しく懲らしめのムチを実践しているか、お互いに競い合うような風潮も見受けられる。また、王国会館に集まって、共にムチ作りをしていた親達もいたという。一方で子ども達の間でも各家庭で受けている懲らしめのムチに関する情報共有を盛んに行われていたという(以下の引用を参照)。
(参考: エホバの証人】 “懲らしめのムチ” 体験談関連のスレッドまとめ)
親に「従順」であることは子どもの義務
エホバの証人では、子どもを正しい方向に導くことは親の責務であると考えられており、この世の終わりが到来し、無事に生き延びて新しい世界である楽園で幸せに暮らせるよう、子どもは親の言うことに対して忠実に聞き従う必要があると教えられる。従って、例えば、子どもが親に反抗的な態度を示したり、言いつけを守らなかった場合や、エホバの教えに反する行為を働いた際には、子どもは親から懲らしめのムチを与えられることとなる。更に協会は、乳幼児に対する懲らしめのムチも時には必要であると言及している。
「懲らしめムチ」の流れ
最後に、子どもが親から懲らしめのムチを受ける際、一般的な一連の流れを体験談やニュース記事などの内容に基づき、①ムチの宣告、②説教、反省、納得、③脱衣、④ムチを受ける姿勢、⑤ムチの回数とペナルティ、⑥ムチで打たれる子ども、⑦懲らしめのムチを終えて、⑧ムチで打たれたお尻の惨状の順で紹介する。
懲らしめのムチを与えられるに至った主な原因や理由(3点)
(1) 戒律を破った
「親に従順」ではなかった(口答えなど、反抗的な態度をとった)、暴力的表現が含まれるTV番組やアニメを観た、誕生日会やクリスマスの祝い事に参加した、国家や校歌を斉唱した、世の友達(信者以外の友達)と遊んだ、自慰行為をした、証言(聖書の一節を引用しつつ、体育行事や武道の授業などに参加できない理由を述べること)をしなかった、等。
(2) 集会中や野外奉仕(布教活動のこと)中などで態度が悪かった
ウトウトした(警告として太腿や腕などをペンなどで突かれる場合もある)、居眠りをした、落ち着きがなかった、ノート等に落書きをした、集会参加を渋った、講義の予習復習を怠った、注解(挙手して発言をすること)をしなかった、(勧誘訪問の際に)インターホンを押すフリをした、笑顔ではなかった、等。
(3) 躾の一環として
悪戯をした、嘘をついた、約束を破った、門限を破った、成績が下がった、等。
①ムチの宣告
子どもが懲らしめのムチを受ける際に、親からは以下のように宣告される。
ここでは例として2パターン紹介する。
・「帰ったらムチです」「帰ったらムチよ」「帰ったらムチだからね」
集会中や奉仕活動中などの出先で、子どもが粗相をして懲らしめのムチが必要な状況でも、ムチを持ち合わせていなかった場合(多くの親はムチを鞄に入れて携帯していた)や、諸事情により王国会館ではムチを控えるような指示が発出されていた場合など(以下の引用を参考)で親が冷酷に子どもに言い放ったセリフの例である。ムチを宣言された子どもは、その多くが絶望感と恐怖で帰宅が憂鬱となり、中にはその場で泣き出す子どももいたという。
・「ムチをします」「ムチよ」「懲らしめをします」「お尻を出しなさい」
主に家庭内で懲らしめのムチが確定した場合、上記のようなセリフで親が子どもに宣言することが多いようである。多くの子どもがムチの痛さの恐怖と絶望感で地獄に叩き落とされたような感情に見舞われたという。
②説教、反省、納得
親は子どもに(時には聖書を用いて)説教を行い、「なぜ、懲らしめムチが与えられるのか」という理由を述べさせて、自らの行いや、犯した過ちを反省させる。そして、理詰めてムチを受けなければならないことを納得させて、子どもが自ら「懲らしめのムチをお願いします」「ムチで叩いてサタンを追い出して下さい」と親に懲らしめを申し出るような流れを作る(以下の文献を参照)。懲らしめのムチが確定すると、「ムチ」を子どもに持って来させる親もいたようである。また、家庭によっては複数の種類のムチが使用され、子どもにどちらのムチで叩いて欲しいのかを選択させる親もいたようである。その際、痛みが少ない方のムチを選択し、ムチ打ちの最中には故意に痛いフリをした子どもも見受けられる。中には、子どもに聖書の一節(エフェソス 6:1、箴言13:24、箴言22:15など)を読ませる親もいるようである。家庭によっては懲らしめのムチを専用の部屋(和室など)で行われることもあったという。
③脱衣
親からムチの宣告を受け、懲らしめのムチを受け入れることに納得した(または、させられた)子どもは、下半身に身につけている衣服を自発的に、速やかに脱がなければならない。多くの子ども、特に、小学校高学年や中学生になり思春期を迎えた年頃の子どもにとって、親の前でパンツを脱ぎ、裸の状態の下半身を曝け出すことは非常に恥ずかしく、性的な羞恥心を覚え、精神的にも耐え難いものであり、胸を締め付けられるような感情と、この上ない屈辱感を抱いたようである。親に極力生殖器を見られないように、シャツの裾を引っ張り、前を覆い隠すなど、健気な努力を試みた子どもも見られる。尚、たとえ子どもが生理中であったとしても例外なく下着を脱がせて懲らしめのムチを行うのが一般的だったようだ。中には、ムチに対する恐怖と与えられる苦痛を想像し、そして何よりも下着を脱ぐという恥ずかしさと屈辱感により、パンツを下ろすのを躊躇う子どもも多くいたようである。その場合、親の怒りを買い更にムチが厳しくなったり、親が10カウントを行い、カウントダウンが終わるまでにパンツを脱ぐことができなければ、ペナルティとして後述であるムチの回数が増やされた例も頻繁に見受けられる。稀ではあるが、子どもが高校生(または、それ以降)になっても懲らしめのムチを継続する家庭や、懲らしめのムチを与える際に子どもを全裸にさせる家庭も存在した例もある。
④ムチを受ける姿勢
子どもがパンツを脱ぐと、いよいよ裸のお尻に容赦のないムチが飛んでくることになる。親は子どものお尻を叩きやすいように、以下の例のような様々な姿勢をとるように命じる。
・正座や着席した親の膝にうつ伏せにさせる(主に、就学前や小学校低学年の子ども向け)
・座布団、布団やベッドにうつ伏せにさせる
・テーブルなどに上半身をうつ伏せで預けさせる
・直立にさせる
・壁や椅子に両手をつかせてお尻を突き出させる
・四つ這いにさせる
・四つ這いの姿勢から胸を床につけさせ、お尻を高く突き出させる
また、より強い恐怖を与えるために子どもに目隠しをさせたり、うつ伏せにさせて懲らしめのムチを行う場合など、子どもが痛みに耐えきれず、反射的にお尻に手を持っていくことを防ぐために、腰の部分で両腕を組ませたり、厳しい家庭では子どもの両手首を紐で縛ったりする親もいたようである。
⑤ムチの回数とペナルティ
親が一回の懲らしめのムチで子どものお尻をムチ打つ回数は家庭によって様々である。前述の通り、懲らしめムチが一般的に開始されたとされる1960年代中頃から1970年代にかけては20回程度が望ましいとされていたが、それ以降は回数制限が撤回され、何回でも叩いても良いとされた。会衆での指導や各家庭での親の方針、子どもの年齢、子どもが犯した過ちの程度などにより、ムチの回数は大きく異なる。1~3回と比較的少ない家庭や、一般的な回数とされる10~30回、多い場合では40~60回、さらに厳しい家庭では100回、若しくはそれ以上の回数、お尻をムチで打たれた子どももいる。子どもの年齢と同じ回数を叩いたり、また、親によっては子どもにムチ打ちの回数を自己申告させたり、キリストが鞭で打たれた回数と同じ数(39回)だけ懲らしめのムチを与えた親もいたようだ。一方で、具体的な回数を定めずに、親が納得するまで(或いは、気持ちが済むまで)ムチで子どものお尻を叩き続ける家庭も存在したようである。ムチで打たれる数が明確に決まっていないため、子どもにとっては「いつ終わるのか分からない」ので逆の意味で恐怖だったという。
また、懲らしめのムチの最中に、子どもがムチ打ちの妨害行為を働いた際にペナルティとして回数が追加される場合がある。具体的な例は以下の通りである。
・姿勢を崩した
・お尻を手で庇った
・泣き叫んだ(泣くことは反抗心の表れと見做されるため。)
家庭によって様々ではあるが、「10カウントまでに姿勢を戻さなければ1回追加」「お尻を動かすと1回追加」「姿勢を崩すごとに10回追加」「お尻を手で庇ったら最初からやり直し」「泣き止むまでムチ打ち」など、親によって細かなルールが決められていたようである。また、親の手元が狂い、お尻以外の部位(背中や太腿など)にムチが当たると、その分は無効となり、やり直しさせられた例も見られる。
⑥ムチで打たれる子ども
懲らしめのムチを受けている間、子どもは泣き叫ぶことを禁止されることが多い。泣いたり、なかなか泣き止まない場合などはムチ打ち追加のペナルティが課せられる場合があるため、子どもはムチを受けている間、布団のシーツなどを必死で掴みんで激しい痛みになんとか耐えようと試みたようである。親にもよるが、手で子どもの口を押さえたり、泣いて暴れる子どもを強く押さえつけたり、タオルを咥えさせたりすることによって泣き声を漏らさないような工夫をしていたという。痛みに耐えきれずお尻を手で庇った際、手製の電気コードのムチが手に当たり、中指にヒビが入った例もある。叩かれる回数やムチを受ける子どもの態度(中には1回叩かれる毎に飛び上がり、転げ回る子どももいる)にもよるが、1回の懲らしめのムチで1時間程の時間を要するという。ムチを振り翳して「ビシ、ビシ、ビシ」と連続で子どものお尻を叩く親もいる一方で、1回叩く毎に説教を挟む親もいたようである。後者の場合は、叩かれた部分に痛みと熱がじんわりと生じてくる頃に新たな1打が加えられるため、より苦痛を感じたという。懲らしめのムチの際中、親によってはその都度「サタンよ出ていけ」と言いながら子どものお尻を叩いていた例もあり、親の代わりに何回叩かれたか声を出してカウントさせられていた子どももいるようである。ムチ打ちのあまりの痛さに耐えきれず、途中で失禁をしてしまった子どももいたようである。
⑦懲らしめのムチを終えて
一通りムチを受け終えると、子どもは(泣いている場合は速やかに泣き止んで)親に「ありがとうございました」「ムチで叩かれてサタンは出ていきました」などと、一般的にはお礼の言葉を述べなければならない(根拠だと考えられる以下の協会出版物の引用を参照)。尚、子どもがこの「お礼の言葉」を言い忘れると、反省の色が足りないとみなされて追加のムチ打ちが科される場合もあったという。また、親は「あなたが憎くて懲らしめのムチを行なっているわけではない」「一緒に楽園に行くための訓練だと思いなさい」と子どもに告げて、中には子どもを強く抱きしめる親もいたようである。
⑧ムチで打たれたお尻の惨状
ムチの種類やムチの回数、叩く親の力の程度などにもよるが、懲らしめのムチを受けた子どものお尻は以下のような状態を呈する。また、ムチの種類に関しては多くの地域で共通して使用されたとされる「ベルト」「電気コード」「ゴムホース」の3種類を主に取り上げる(ムチの具体例は以下の引用画像を参照)。
懲らしめのムチを受けた多くの子どものお尻は内出血を起こし全体が真っ赤に腫れ上がり、赤いミミズ腫れが叩かれた数だけ浮き上がったという。酷い場合には皮膚が裂けて血が滲むことも多々あったようである。また、ムチで打たれたお尻は皮膚が硬変し、しばらくの間傷や痛み、痕などが残るため、入浴の際に傷口がお湯で沁みたり、学校で椅子に座る際に中腰になるなど、座ることが困難な日が続いたという。お尻や太腿などのお尻以外の部位にムチが当たった場合は、ミミズ腫れの痕が制服の半ズボンや体操服のブルマ、水泳の水着などを着用した際にはみ出し、他人から見られることがあったため、恥ずかしい気持ちになったという。
・「ゴムホース」ムチの事例
・「ベルト」ムチの事例
・「電気コード」ムチの事例