何かが終わると、それは新しい事の始まりなのかもしれない。
先日、ずっと打ち込んできたプロジェクトが一つ終わった。
私はそのプロジェクトに深く携わってきただけに少し、いや、かなり残念な気分だったし、このまま止めようかなとも思った。
でも、それでも全てを0にするにはもったいなかったので、もう少し続けることにした。
理由はたくさんあったが、一番の理由はずっと打ち込んできたプロジェクト残った価値だろう。
それは私と同じくプロジェクトを進めてくれた人の残したもの。
その人たちが去ったわけではないが、一線を退いたという言い方が楽しいだろうか?
私はその中でも若かったので残ることにした。いや、もっと言うと残るしかなかったというべきか。
それでも、引継ぎもなく終わったのでそこからの数週間ノープランだった。
そして「このプロジェクト自体が終わりかな・・・」と考える日も少なくなかったが、それでも残っているものを動かしている私に「一緒にやりましょう」と声をかけてくれる人、そしてその人は『このままではダメだ』『今度は自分たちが中心になっていかなければならない』と言ってくれた。
それは私がずっと思っていた事で、でも組織の中で一人そんな人間がいても無理だなと思っていたが、そうやって声をかけてもらって嬉しかった。
私は単独行動が多い。もちろんビジネスにおいて共同作業は必要だが、群れる事はしない。そんな事よりさっさと自分のやることをやって帰りたいし、人がどう言おうがそれほど興味もない。
そんな性格だから「○○さんは凄いよ」とか「いいものもってるよ」って言われてもあまりピンとこない。
嬉しくないわけではないけど、「普通の事だろ?」って思いがち。
でも、そんな人が凄く大事で。
しかも、そういう人から「一緒にやりましょう」なんて声がかかった時は嬉しかった。
なぜ嬉しかったかというと、私の事を誘ってきてくれたからだ。
『誘われる』
これは凄い事だと思う。
なぜなら誘ってくれた相手にとって私が有益でないといけないからだ。そしてこの人となら出来る。この人とならやってみよう。チャレンジしてみよう。
と思ってもらわないと誘ってもらえないのだ。
要するに必要なのは『信頼』だ。
信頼はそう簡単に作れるものではない。
ひとつづつひとつづつこなしてそれを評価してもらう必要があう。
誘う方も失敗は避けたいし、自分の持っている物を与えて共有する価値があうかを判断して誘うのだから「○○やりましょう」って言われてよほど時間がとか金額が合わないとかでなければ「だが断る」とは言えないだろう(笑)
だから私は一瞬迷って即答で「やりましょう」と回答をした。
自分を評価してもらったんだから応えなければならない。
それまでどこか緊張の糸が切れてふらふらしていた私の目の中に光が戻った。
今はその人とやっていることに手が回らないと悔しい。時間が無限ならもっともっと進めたいと思っている。
ごちゃごちゃした人間関係、仕事のわずらわしさ、縛られた時間、そんなものそっちのけでその人との話を進めたい。今はそんな気分だ。
こういう時はクールにはいられないがそれでいいのだろう。
熱さには熱さで応える必要があると思う。
何かが終わると何かが始まる。
でも、何かを終わらせたという事は一つの区切りがついた。という事だと思う。
それが本意で終わったのか、不本意で終わったのか。どちらかは分からないがそれでも、その物事が終わったというならその物事は役目を終えたのだ。
そしてそこから漏れた水はどこかに繋がり、また新たな広がりになる。
そんな行動を日々心掛けていきたい。
そんなブランドになってきたいと考えています。
是非とも応援よろしくお願いします!心折れないように頑張らねば(笑)