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『武道論考』批判2

さて、同氏の「型」論によれば「古来技能を中核とした日本文化は「型」の修練を通じて伝承されてきた」とする。そして「いわゆる“かた”が具体的な稽古の内容であった」と決めつけている。それでいながら、別のレポートでは、“かた”は精神面の問題であって、技能・技術面の分析はない、としている。これは同氏の特色であろうか。

「型というのは、先人が考案した技術の伝承形態であり、その運動のしかたや様式を無駄なく圧縮したものであって、長い間の体験や工夫から案出した“定められた型木”である。そして具体的な技術の指導・学習は、この型を正しくまねることから始まる。武道技術の学習においては、型を尊重し型に従うことが厳格に要請された。」と決めつけており、「現代の柔道や剣道は、従来の型武道から、お互い自由に相手に技を試み、より合目的的で合理的な技術の考案や発展の方向にある」としているが、なぜ、形に序破急があるのか、などわかっていないのである。

「柔道や剣道においても、現代でもそれぞれ定められた型があり重要な位置を占めているし、姿勢や構え、有効な技の評価等に、ある形的な価値観、形式美といえるような観かたが強く存在している」、これは「運動の定型化」と呼ぶそうだが、これなど、現代武道(スポーツ)と古武道の“かた”の意味するところが違うことを述べている。同氏もこのことについては、古武道の“かた”について「武道における型は、長い経験と苦心をもって工夫案出されたものであり、機能的にも形態的にもぎりぎりに単純化され洗練されたものであって、その型を自己のものとするということは、一つの心的境地として悟りのような性格を持つものである。」と評している。

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