鶴山晃瑞の後継者と目された高弟-評伝 稲益豊-2
稲益先生は、昭和17(1942)年3月19日に佐賀県に隣接した福岡県小郡市で生まれました。
高校時代は柔道に打込み、昭和34年には金鷲旗(きんしゅき)高校柔道大会(高校柔道界で規模の大きい大会の一つ、後年、山下泰裕や鈴木桂治、井上康生、谷亮子など輩出しています。)に出場しました。その後、上京し錬武館道場で空手を習い、昭和36年に合気会に入会、本部道場で合気道を習います。ここで才能を認められた先生は内弟子への誘いを受けたそうですが、これは断りました。
その後、昭和52年に鶴山先生に出会うまで、いろいろな武術・健康法などを実修されました。先生は持病をかかえておられ健康法には特に意を用いて(あらゆることを試して)いました。幾つか例示すると・・・
自彊術普及会本部において自彊術・療法(指導員資格)、松武館本部(現日本道観)において導引術(仙学指導者)、国際ヨガ協会においてヨガ、日本道観において道家合気術、氣の研究会において心身統一合氣道、自彊会において自彊法、正体波動法本部において正体法を学び、この他養生法等を複数の団体や個人から学んだそうです。