武術が人間性を高める-武田惣角と無筆のこと-(続)
このタイトルのもと、鶴山先生のメモ(武田惣角と無筆のこと)をまとめたものを以前掲載しましたが、その際、省略した部分を今回紹介(一部重複部分がありますが、)したいと思います。惣角の修行から連想して、当時(昭和62(1987)7月)話題になった、酒井雄哉(ゆうさい)師による「千日回峰行」達成について書かれています。
新聞各紙が、「千日回峰行」の荒行を達成した酒井雄哉(60歳)の業績を称えている。この人は苦労人だったようで40歳で出家したそうだ。人がやれない千日回峰行を50代で満行し、今回2回目の千日回峰行を達成したのだ。
千日回峰行というのは、比叡山中の諸堂・諸仏を巡拝しながら7年間で約4万km(地球一周相当)を歩く行という。資料によれば、
1~3年目 30km/日×100日/年
4~5年目 30km/日×200日/年
ここで、四無行(断食・断水・不眠・不臥)を9日間行う「堂入り」
6年目 60km/日×100日
7年目 84km/日×100日、30km/日×75日(100日)
(975日をもって1,000日としている。) の荒行である。
修験道では、人がやれないことをやることで、普通の人間ではなく、神様扱いとなる。この千日回峰行によって生き神様となるのである。
酒井師の言「私は頭が悪かったから、この道で頑張るしかなかった。」は、惣角の修行にも通じるものがある。無筆・無学の惣角が後年、立派な人として尊敬されるべき人間になれたのである。
武道修行の最も大切なことは、強いということではない。人間が強くなるということだが、それは相手をやっつける強さではなく、自分の心に勝つことである。克己心、これは単なるガマン・忍耐ではなく、武道を通じて人に教える人になる、ということである。単独でいくら強くても、例え、ボクシングの世界チャンピオンであっても、人を教え、それに追いついて来る人がいなくてはならない。人望が伴うことの修行、それが楽しみにならなければ、本物の武術ではない。