![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/110984734/rectangle_large_type_2_f277a434194f3d0afdc202d6f47d6ff9.jpeg?width=1200)
大東流の三大技法(続)12
ところで、昭和初期は不穏な時代でした。その一つは、財閥やその経営者による富の独占に対する不満、軍縮による軍部の不満、権力闘争などから、政財界人や軍人にとって危険な時代だったのです。これらが顕在化した例として、昭和6(1931)年の三月事件(クーデター未遂)、昭和7年の血盟団事件、それに続く五・一五事件などが有名です。その他陸海軍大将らの暗殺未遂事件も相次ぎました。
浅野正恭中将ら海軍大学の同期生グループを中心とした軍人たちが大東流に夢中になった理由の一つにこうした社会背景があったことは間違いないでしょう。
大東流は、時代背景もあってか、暴力弾圧があるところには必ず登場して何らかの意味で影響を与えています。具体的には、大本教弾圧、上記事件、大阪朝日新聞社襲撃があげられます。そして、関係者の護身術として教伝されているということです。
大東流は世襲制の階級社会を前提に構成されている保守的な技術体系ですが、武力を被る側の団体や社会階級を守る役割を果たしてきました。そして、不思議なことにどのような宗教理念や哲学ともマッチし、それらをフィジカルの面からサポートする役割を担ってきました。
なぜこんなことが可能だったのでしょう。