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三船十段の武勇伝(下)

(承前)しかし、その家の大御所先生のご機嫌は直ちに我々全員の神経に晴雨明暗の影響を与えた。
ある日先生は私に向って「お前は選手になるつもりか、先生になるつもりか、どっちだ?」とのご質問だ。さて、弱ったことには強くなる(=選手になる)ことが先生になる道だ、位にしか思っていない頃の事とて、まごついたが考える暇がないので極めてハッキリ「はい、その両方であります。」とやっちゃったからたまらない、たちまち天の一角から電光一閃「駄目だ!そんな頭じゃどっちにもなれん。帰れ!」名人の烱眼(けいがん:ものの本質を見抜く鋭い眼力)恐るべし、その刹那既に今日あるを洞察されたのであるが、こちらは感が鈍いので、ただ先生の天気具合が悪かったぐらいにしか考えなかったのが身の破滅であった。
しかし、晴天明朗の日は、先生は我々の居城・三畳の間に来られて…
「今の柔道家は気の毒だよ、警察がやかまし過ぎて実戦の稽古が出来ぬからネ(先生、我々が内々修行していることは、ご存知あるやなしや)。俺たちはその点非常に恵まれたネ。
先ず、初心の内は町で四・五人位のかたまりを相手にやるんだネ。これを充分こなす様になったら(コナサれた奴は災難)、やっちゃ場(青物市場)の入口でカボチャの三つ四つも蹴飛ばすんだネ。ここは天秤棒やジャガイモの雨が降るから、ちょっと段が上でないと難しい、ここで段々腕を鍛えて市場の中央でこなせる様になれば、まあ大体一端の使い者になる。
次は、魚河岸だ、ここは刃物や鳶口(とびくち)や時には魚のはらわたまで飛んで来るんだ。一度、馬場というのが上京して来て“やっちゃ場位じゃもの足りん”というから、魚河岸でやらせてみたが、血だらけになりながら、それでもどうにかこうにかやってのけたから、少々無理だとは思ったが…
最後の、高段者級のやり場すなわち吉原へ連れて行ったら、ここじゃ流石の馬場もめちゃめちゃで我々が助太刀してやっと引き上げたことがあった。この吉原がこなせれば、まあまあ世界中どこへ出しても恥ずかしくない一人前となる訳だよ。」
先生「徳三宝(野中の一本杉と呼ばれた講道館最強にして暴れん坊の柔道家)先生は、その方では特に名手であった、といいますが…?」
「ハハハ…徳が?ありゃ駄目だよ、警官まで一緒くたにやっつけちゃうんで、後の引込みがつかないんだウアハハハ」今日は晴天なり今日は晴天なり。(完)

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