武田惣角と大阪との関わりについて1
今回から武田時宗氏が記述した「武田惣角と大阪との関わりについて」と題する寄稿を紹介します。これは昭和59(1984)年4月1日発行の「大東流合氣武道 会報第39号」(発行所 大東流合気武道総本部 大東館道場)に掲載されたもので、大阪における武田惣角の有名なエピソードが載っているものです。
ところで、この文章は、時宗氏の傘下としての琢磨会を応援したいという意向から書かれたものです。
まず、この文章が書かれた背景等について補足説明しておきます。
久琢磨氏は72歳のとき、関西合気道倶楽部道場を閉鎖し東京に転居されました。その後、関西では弟子たちが関西合気道倶楽部の支部道場を開設し、昭和50年には琢磨会を発足させ各所で稽古していました。久氏も毎年春には帰阪し合同稽古に参加指導されていました。しかしながら、その稽古は、基本技がなく、総伝技法を中心に合気道技法を稽古するというものだったようです。このことが不満だった武庫支部創設者の岡林良一(糸東流空手経験者)氏は、久氏の推挙で時宗氏門下となり大東館の技法(大東流柔術のこと)を習い、これを琢磨会に持ち帰ったのでした。こうした縁で昭和57年に開催された琢磨会の演武会は「大東流合気武道関西大会」として、大東流合気武道総本部の後援のもとに実施されたのです。
このような背景のもと、第3回演武会を前に時宗氏が寄稿したのです。
昭和43年 久琢磨東京に転居(関西合気道倶楽部道場を閉鎖)
昭和50年 琢磨会発足
昭和52年 久琢磨から鶴山晃瑞が免許皆伝を受ける
昭和54年 久琢磨神戸に転居
昭和55年 久琢磨没
昭和57年 第1回大東流合気武道関西大会(演武会)開催
昭和58年 第2回大東流合気武道関西大会(演武会)開催
昭和59年 第3回大東流合気武道関西大会(演武会)開催
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