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人間に年齢はない by 中村天風

作曲家をやっている友人 (M.O氏) の誕生日に『おめでとうメッセージ』を送ったら、その友人はお返しにと、彼が尊敬する中村天風の言葉を送ってくれた。

[人間に年齢はない]

いいですか、私はね、人間に年齢はないと思っています。
年齢を考えるから年齢があるように思うけれども、六十、七十歳になろうと、自分が十七、八歳時代と考えてみて、違っているのは体だけ。
そして、もう一つ違っているのは、心のなかの知識だけの話で、心そのものは、ちっとも変わっていないはずです。
ですから、四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。
明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くはないのであります。

中村天風

中村天風 | 一日一話 元気と勇気が湧いてくる、哲人の教え366話

天風先生のこの↑↑言葉には、私自身も己が心に覚えがある。

要は、肉体だけは衰えてくるし、自在には動けなくなってくるし、用をなさなくなってくるし、あちこち痛くなってくるし、どうにもならない。驚いたのは、齢五十を過ぎると、想像もできないところから血が出るのだ。こんなところからも、あんなところからも。もちろん、慌てて医者に相談にゆくと、返ってくる診断が、

「あ、ご心配なく。単なる老化ですね」と、悉くみんな、同様なのである。
「は?、老化、ですか……?」と、私はホッとする反面、妙に落ち込んだりもする。

それは、やはり齢五十を過ぎたあるとき、小さな子どもを連れていた男から唐突に、

「あそこにいる ”おっちゃん” に訊いてごらん……」とか、この俺さまが、そこいらの子連れのオッサンから ”おっちゃん” 呼ばわりされた初体験の衝撃にも似ていた。

今、私は数えで六十三歳になりました。クソジジイですよね、世間一般の認識ではね。

実は最近、肩が痛くて痛くて、五十肩なんてもんじゃありません。六十肩ですよ、もちろん。ちょっと寝違えただけで、この有り様です。痛えのなんの。でも私ぁ、四十代から四十肩でしたから、肩が痛えなんざあ、てえしたことじゃあございやせん。すっかり慣れているんですが、痛えのは辛えっすから、歳を重ねるごとに痛みを増すのには閉口しまさあ。

人間に年齢はない……という、中村天風先生のお言葉に、今日、全く図らずも接することができ、思い当たりました。

想像もできないところから血が出るとか、肩が痛えのなんのとか——、

「あ、単なる老化ですね」と、あっさりと言ってのけてくだすった医者のお言葉どおりってやつで、天風先生が仰る、

『違っているのは体だけ』ってことなんだよな。

——と、氣にすることなんざあ、何もねえ。

どうしてってさ、肉体はひたすら衰える衰える、人生、生まれた瞬間から死滅に向かっているのであります。

しかし——、

『心そのものは
ちっとも変わっていないはずです』(by 中村天風)

——肉体の中身、つまり[魂=こころ=思い=意志=意識]ってやつぁ、ちっとも変わってねえ、と、確かに私も、そのように感じるのである。

齢六十になってから、小学校時代のクラス会を開催してみれば分かります。みんなジジイ・ババアに変化しているものの、それは見た目だけのこと。話しているうちに、みんな、それぞれの[魂=こころ=思い=意志=意識]が、子どものときとちっとも変わっていないことに、氣がつきます。

蛇足ですが、私も、今年(2024年)のうちには一度やっておこうと思っているのですよ、小学校時代のクラス会を、もういっぺんね。

なにしろ、こないだうちまで567があったでしょ。これは大変な出来事だったわけですよ。私は、567のカラクリ、すっかり解っておりますけどね。

下手をすりゃあ、567のアレ💉を射った人は、その中身がもとで死んじまうんだ。これはもう、どうにもならねえや😭……。

しかし、それはそれ、これはこれ。いくら年齢を積み重ねても——、

『六十、七十歳になろうと、
自分が十七、八歳時代と考えてみて』(by 中村天風)

——[魂=こころ=思い=意志=意識]が17歳〜18歳の頃と変わらないのなら、たとえ肉体が滅んでも、いつでもどこでも再会できそうだ。

自分ってえなあ、いってえ何なんでしょうかねえ。

結局、自分が自分だと思う【何か】が自分なのであります。
いつまでも、ever and ever……🤗

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