思いやりのテストなんてしたくない
和笑十楽日乗
昨日は彼岸の入り。
私は、たいてい彼岸の入りの日に墓参りをするべく、我が家の菩提寺へ赴く。
彼岸は、ご先祖さまへの想いが通じやすくなる期間なのだから、初日からお墓のお掃除をしておかないと、ご先祖さまに失礼かなと。
すると、ほぼ毎回、我が家の墓の真ん前に、お寺の差配で墓地の掃除をしてくださった際に発生したのであろうゴミ満載の太った袋が、どん・どん・どんと三つ、置かれているのだ。
これまでは黙っていた。
しかし、正直なところ氣分の良いものではない。
せっかく墓参りをするのに、墓前にゴミ袋三つは流石に”思いやり”がないだろう。
しかも、ほぼ毎回なのだから。
あらかた墓の掃除が済み、線香と生花を”買う”ために寺の玄関のチャイムを押した。
ジャージ姿の住職が出てきた。
挨拶をし、住職が線香に火を点けてくれているあいだ、天候の話をし、十一月の報恩講の話をし、宜しくお願いしますとか何とか言って話をつなぎ、勘定を済ませて線香と生花を受けとった。
玄関を出る振りをしてから、私は、わざと立ち止まり、
「あ、そうだ、いつものことなんですがね」と言うと、住職は「はい、何か?」と応えた。
「うちの墓の前に、ゴミの詰まった袋がね、三つも置いてあるんですが、あれは何か”わけ”でもあるんですか?」
住職は少し考え、ハッと思い出したように、
「いいえ、なんとなく、あそこに」と言って作り笑いをした。
「他に置く場所がないのでしたら構わないんですよ、うちで引き受けますから」
私が、あえて慇懃にそう言うと、住職は慌てた様子で玄関を出て、私より先に我が家の墓の前へ小走りしてから、そそくさと三つのゴミ袋をどこかへ持って行った。
私は、
「ありがとうございます」
と、逃げるような住職の背中に向かって声をかけた。
脳裏に、先代の住職の姿顔が浮かんでいた。
宜しいか、住職。
次のテストは、十一月の報恩講のときですよ。
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