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怒りの感情
アンガーマネージメントという言葉を聞く機会も多くなっている。
怒りの感情は6秒程度しか続かないらしい。なので、怒りを覚えた時は7つ数えることにより、落ち着くことができるというもの。怒りに任せた発言は、無意味に他者を傷つける。
そもそも怒りはなぜ生まれるのか。
表現の一つであり、そのもととなる感情があるはず。その感情と向き合わないから、怒りという表現になる。
昨日待合で怒鳴ってる人がいた。理由は、長い間待たされた、掲示板の表示の仕方に問題がある。今までそんなことはなかった、急いでいるのにどういうことか
というものだった。
時間がかかった→急いでいるのにという焦り
掲示板の問題→非は組織側にあり自分は被害者という意識、自分は悪くない
それらの自分の感情に気づき、受け入れることができれば怒りを他者にぶつける必要はなくなるはず。
自分の怒りをコントロールするために、感情を確認する作業を俯瞰的にやっていこうとおもう。
まあ基本そんなに怒ることもないんだけどねー!
仏教では、怒りを、根本的な煩悩である「三毒」のひとつとしています。三毒とは、必要以上に物を求めるむさぼり“貪(とん)”、怒りの気持ちである“瞋(じん)”、真実を理解しない愚かさ“痴(ち)”の3つです。よく誤解されているのですが、仏教は単純に「煩悩を捨てよ」と教えているわけではありません。
仏教の開祖であるブッダは、苦しみを解決しようとして、瞑想や苦行といった様々な修行を徹底的に試みました。その結果、瞑想や苦行はあくまでも苦しみからの逃避であり、最終的な解決にはならないという洞察を得たのです。そこでブッダはそれらを放棄して涼しい木陰で静かに坐り、苦しみの発生するありさまを深く観ようとしたのです。
そこに悪魔がやってきて、あらゆる手段を使って邪魔をしようとします。しかし新たな道を歩みはじめたブッダはそれと戦うのでもなく、それから逃げるのでもなく、それを平静に観察する坐禅を続けました。こうしてブッダは悪魔、つまり煩悩を否定せずに受け入れ、それと共に生きていける道を見いだしたのです。煩悩を追い払うのではなく、深く理解し、煩悩から学んでいく。坐禅とは、こうしたブッダの営みを今ここで追体験する行です。だから坐禅は、苦行ではなく、自己を深く観つめ、それに親しむ修行なのです。
新しい仏教が授ける想定外の解決法
PRESIDENT 2016年12月19日号
2017/07/09 11:00
藤田 一照