見出し画像

「生きるとは、自分の物語をつくること」

最近本を読まなくなったと反省。
積読本の中から一冊引っ張り出してきました。

さて、なぜこの本を買ったのか。心理学を勉強していたときに、河合隼雄さんの著書に触れる機会が多く、検索に上がってきたこの本をポチったことから我が家にお迎えしました。

文中に「博士の愛した数式」が登場するので、とりあえずビデオ鑑賞しました。
本はかなり前に読んでいて、息子さんに貸してと言われていた一冊でした。理系あるあるで素数や完全数、オイラーの公式など好きな要素もりもりだから、貸してって言われたとき、そうかそうかとニンヤリしてしまった。しかも、タイガース好き

臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。

カウンセリングは、スポーツに似ている。シナリオがない。
一流の選手ほど選択肢をたくさん持っていてその中から最善の方法を選ぶ。
言葉も同じで、たくさんの中から選ばれた言葉か、唯一それしか持っていない人の言葉かで、受け止められ方が違ってくる。
一瞬で判断して、最善の言葉を投げかける。まさにスポーツだと感じた。

その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要となってくる。死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。人間は、身体と表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は倫理的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体とし、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なのが物語である。物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。

あぁ物語とはそういうことかとストンと隙間にシンデレラフィットした感覚をもった。
ターミナルケアの現場でその人の物語に寄り添うと言われる。その意味を真に理解した気がする。
ターミナルケアでは生きるということを再構築することを提案しなければならない。

その人がその人の物語をしっかり生き抜けるように、その人の力を信じて傍に居続ける。諦めずに、

アウトプットすることで、考えをまとめることになる。知ってはいるが、なかなかに手間
時間はたっぷりあるはず、1日24時間もあるのだから。めんどくさがらずに、誰にも届くことがなくても、自分のために。

いいなと思ったら応援しよう!