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歴史の岩戸開き(34)~「知性偏重」の教育から、「生きる術」を身につける教育へ!

山納銀之輔さんは、登校拒否や発達障害(と最近では診断されてしまう)子どもたちを集めて「生きる術」を教える体験学習も開催されていたそうです。

山納銀之輔ホームページより

そこでは衣・食・住の作り方、たとえば鶏小屋の作り方や、豚小屋の柵の作り方、農作業の方法、漆喰の塗り方などを大人がサポートする形で子どもたちに実践してもらうそうです。

子どもの中には、はじめから興味津々でものごとに挑戦していく子どもたちがいる反面、あまり興味を示さずに持ち込んだゲームなどで遊んでいる子どももいるそうなのですが、そういう時に無理に作業に誘わずに、見守りながらそっとしておくと、楽しそうに作業に取り組んでいる子どもたちが気になって、そのうち自分からすすんで輪の中に入っていくそうです。

そして、何より嬉しいことは、子どもたちがどんどん自主性と創造力を発揮して、みんな笑顔でいきいきと「生きる術」を身につけていくこと。

これまで、学校の知識偏重の教育だけではわからなかった子どもたちの隠された才能が、「生きる術」を身につける、というきっかけをもらったことで、大人が驚くほどのスピードで、めきめき開花していくそうです。

創造力(想像力)、組み立て能力、リーダーシップ、協調性、発言力、美的感性、運動神経、記憶力、積極性、動体視力、バランス感覚などなど。

半年もするころには、鶏小屋を5時間で作ることができるようになったり、3時間で豚小屋の柵を作ったり、左官職人顔負けの手際の良さで漆喰塗りをすることができるようになったりするそうです。
他にも自然の素材で美しいナベ敷きやカゴを編むことができるようになったり、自然の食材しか使わないので絶対味覚がそなわったりするようになるとのこと。

はじめは帰りたくて泣き出していた子どもが、最後には帰りたくなくて泣き出してしまうなんてこともあったそうです。
それはそうですよね、「自分にできる」ことがこんなに沢山あるってことがわかるから。それは子どもたちの自信(=自分を信じること)をどんどん育てるし、思ったことを形にできることほど楽しいことはないですものね。

ぜひ今からでも学校の授業に、国語・算数・理科・社会・図工・音楽・体育のほかに「生きる術」を身につける科目を追加して欲しい!と思いました。
そこでは「生きる術」を身につけている大人たち、地域のお父さんやお母さん、おじちゃんやおばちゃん、おじいちゃんやおばあちゃんを「講師」に呼んで、昔ながらの生活の知恵や技術を教えてもらえるようにする。
それって、そのまま「伝統や文化の継承」にもつながるし、子どもを中心に地域の活性化や、地域の人たちの連帯を深めることにもなるのではないでしょうか。

今わたしたちが生活している社会は、いろんな人がバラバラに生活していて、家族でさえも別々に生活していますが、それってさびしいし、心細いなって思っています。
人はそれぞれ、いろいろな考えや生き方、そして、かけがえのない人生や歴史を持っているということを知ること、あるいは知ってもらうことはとても大事なことだと思っているので、今の社会の状況が「生きる術」を身につけることをとおして改善されるのだとしたら、それだけで風通しの良さを感じることができる世の中になるのだろうなと思っています。

すこし話が変わりますが、AIの登場と発達によってこれからどんどん人間の知的作業はAIが肩代わりしてくれるようになると言われています。
AIの知的学習能力は人間の知的学習能力をはるかに超えることになることは明らかです。
そのことで人間の仕事が減ってしまう、奪われてしまうと心配する声がありますが、全然心配する必要はなくて、それって人間がこれまでの知的作業から解放されて、ほんらいの人間らしい生き方、大自然に根差した生き方=縄文の日本の生き方に回帰することができる大チャンスだと思っています。

ですので、これからはじまる(すでにはじまっている)「風の時代」は、「知性」の時代、「情報」の時代と言われていますが、おそらく「知性」というよりは「神智」「情報」というよりは「記憶(遺伝子に刻まれた記憶=縄文の記憶、神さまであった記憶を思い出す)」の時代だと思っています。

そして「神智」や「記憶」は、その人の体の感覚=五感(あるいは六感、七感)が大自然とつながった時に開花していくものですので、「生きる術」を身につけることは、子どもにとっても大人にとっても今まで気づかなかった自分自身の新たな可能性を発見できるきっかけになるし、「何があっても大丈夫」という自信(=自分を信じること)をつける大きな機会になると思っています。

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言

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