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歴史の岩戸開き(46)~「環境にやさしい」再生可能エネルギーが「日本」を破壊する

人は「霊止(ヒト)」であり、肉体は霊(日・火)のエネルギーを宿す器であることをお話しました。

それと同じように自然界の神さまにとって、自然環境は神さまの肉体そのものであり、霊(日・火)のエネルギーを宿す器そのものです。

「霊(日・火)」は「精神・生命」であり、私たちの精神および生命の源が自然界にあることは多くの人が知り、感じていることであり、大自然を尊び感謝して生きることが縄文以来の、もっと言えば超古代のムー以来の日本の精神性、伝統文化であったはずです。

ですが、いま、その自然界の神さまの肉体、神さまの霊のエネルギーを宿す器であり、私たちの精神および生命の源である森や海を「CO2(二酸化炭素)を排出しないので環境にやさしい」という大義名分のもとに、日本全国のいたるところで破壊しつづけています。

ある地元の地権者は、とある新聞社の取材に答えて「景観は1円にもならない」と言っていました。

この地元の地権者の声は、「再生可能エネルギー」を推進し、またその事業を支持している政府や日本国民の考えを代弁していると思います。

再生可能エネルギーのデメリットについては、生態系の破壊や、騒音や低周波音による健康被害、有毒物質(鉛、カドミウムなど)をふくむ太陽光パネルの処分方法、エネルギーの供給が不安定、初期費用や維持コストがかかるなどが挙げられていますが、最大かつ致命的なデメリットは、地元の地権者がもらした「1円にもならない景観」その「景観を破壊すること」にあります。

冒頭でお話したように、自然環境とは自然界の神さまの霊(日・火)の宿る器、肉体そのものであり、わたしたちの精神および生命の源です。

そのことを自分自身の心と身体で知っていた、かつての古代日本人は大自然を尊び感謝することをなによりも大切にし、それが「日本」という国の精神性、伝統文化の中心となっていきました。

「1円にもならない」自然の景観を破壊することは、自然界の神さまの霊(日・火)が宿る器、肉体を破壊することであり、それはそのまま人の精神および肉体を破壊することにつながり、「日本」という国の精神性、伝統文化を破壊することにつながっています。

精神・生命の源である自然の破壊を見過ごしたままで、どうして日本が「神さま」の国になることができるでしょうか、どうして一人ひとりが「神さま」であったことを思い出すことができるでしょうか、どうして日本という国の精神性、伝統文化を復活することができるでしょうか。

日本が取り組むべき最大の政治的課題は、再生可能エネルギーの開発による自然破壊を食い止めることであり、食い止めるだけでなく積極的にかつての自然を復興していくことにあります。

そうして、はじめて日本は「神さま」の国になることができますし、一人ひとりが「神さま」であったことを思い出すことができるようになります。「日本」という国の精神性、伝統文化を復活することができます。

Electlical Japanでは日本全土における太陽光発電や風力発電の分布を視覚的に確認することができます。

(太陽光発電の全国分布)
(風力発電の全国分布)

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言

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