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歴史の岩戸開き(8)~むかしむかし、みんな一人の「神さま」だった

2024年は「目覚めの年」ですが、その究極のところは、自分が一人の「神さま」であったことに気がつくことです。

「えー?! わたしが神さま!?」

と驚かれるかも知れませんが、あなたも神さまですし、私も神さまですし、お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、友だちも、学校の先生も、道ですれ違ういろいろな人たちも、みんな神さまなのです。

ペンキ画家のSHOGENさんはアフリカのブンジュ村の村長さんから「2025年の7月から日本は神さまの国になるよ」と教わったそうなのですが、一つの大きな形、国となるのが2025年だとしたら、今年は一人ひとりが、「あ、自分って神さまだったのかも・・・いや、神さまだったんだ!」と気がつく年になるのではないかと思っています。

日本には古くから「八百万の神」という思想があって、この世に存在するもの、生きとし生けるもの全てが神さまであると考えられてきました。考えて、というよりも、本当に生きとし生けるものは全て神さまですので、そのことを、ありのままに感じ取っていたということです。

とは言っても、おおくの人はまだ自分が神さまであることに気づいていません。すっかり忘れてしまっているのです。

このnote記事の「歴史の岩戸開き」シリーズのいちばんの目的は、このnote記事を読んでくださっている皆さんの「岩戸」を開くことにあります。「岩戸」を開くということは、「神さま」であったことの記憶を思い出してもらうことなのです。

なぜ私たちは自分自身が「神さま」であることを忘れてしまったのでしょうか?
それはいろいろな歴史的な流れのことや、政治的な思惑があったからですが、いちばんの理由は、「みんな、いちど神さまであることを忘れる必要があった」ということだと思います。

さきほど日本には古くから「八百万の神」という思想があったというお話をしましたが、八百万というように「神さま」と一口に言っても、じつに多種多様で、ひとりとして同じ「神さま」は存在していません。みんなやれること、できることが違いますし、「神さま」だからといって全知全能であるわけではないからです。

ですので力の強い神さまもいれば、力の弱い神さまもいますし、頭の回転の速い神さまもいれば、頭の回転の遅い神さまもいます。手先が器用な神さまもいれば、手先が器用ではない神さまもいます。それで全体として調和がとれているのです。

ですので、能力のあるなし、知識のあるなしは神さまであるかどうかということとは関係ありません。もちろん社会的な地位や立場はまったく関係ありません。でも、ひとつだけ共通しているものがあります。それは、

「神さまは、大自然と共感することのできる、子どものように純粋でやさしいハートを持っている」

という点です。これは別の言葉でいうと「まごころ」を大切にしている人、と言っても良いかとおもいます。

「まごころ」を大切にしない人は、自分が神さまであったことを忘れている人なのですが、2024年は「目覚めの年」ですので、目覚めてくれることと思います。

神さまには共通して持っている能力があります。それは、

「自分の運命を自分自身の思いどおりに創ることができる」

という能力です。ですから「運命創造」の能力を、どの神さまも共通して持っています。自分自身が幸せで周りの人も幸せにすごせるような良好な人間関係や生活環境を実現していくことができます。

あと「運命を創造することができる」わけですので、「こうなったらいいな」と心で思っていることは実現できるようになります。(でも、他人と比較して「うらやましい」とか「ねたましい」とか思っていることは実現しないです。それはもともとあなたにとっては必要のないものだからです)

この記事を読んで「そうだ、私は神さまだったー」と思い出していただければ良いのですが、「そう言われても全然実感がわかない」という方に、私が視聴してとても参考になった動画をご紹介します。

こちらはart hanabukitenさんという方の動画で「〇〇を味方につけるとぜんぶが味方になってくれる」というお話をしてくださっています。

また、動画のさいごのほうで「おまけ」という形で、人と話をする時にイメージすると円滑にコニュニケーションを取ることができる方法をおしえてくれていて、私もためしてみましたが、とても有効だと思いました。

ご参考になれば幸いです。
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頓首謹言

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