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Keep You Safe
わたしは元来、血縁という幻想とは明確に距離を置いているタイプだが、親族であることを差し引いても最も信頼している人間と言える祖母が入院したので、会いに行ってきた。
さすがに自分が少しはショックを受けることを想定していたがそんなことはなく、むしろ勇気づけられてしまった。
わたしは親族のなかでは疑いようもなく人格や価値判断の基準が祖母に似ていて、だから言うわけではないのだが、こんなに凛とした美しい精神の持ち主はなかなかいない。
死を内包した生を受け入れるべく日々器を広げていること、
力の及ぶことと及ばぬことに直面することで生じるジレンマ、
人間は弱いものだということ、
しかし強くあるのも弱くあるのも選択可能であること、
良い縁ばかりではないが悪い縁ばかりでもないこと…
窓際の小さなスペースで、彼女はさまざまなことを話してくれた。
死を視野に入れながらも、決して悲観的でなく、この状況や自らの弱さを受け入れながら、己の命をきちんと自力でたたむべく、入念で美しいほど合理的に準備がしてある点は見事としか言いようがない。
人間の真価は死の間際に現れるとロスなども書いているが、わたしの知る限り、彼女はその意味で早くから死と向き合いながら生きている。
結局、日々死に向き合うことでしか生とまともに向き合うことはできない。
喪失なき成長はなく成長なき喪失はなく、
人が最も自由に生きるためには日々を最後の日として生きるしかないというわたしの持論を、彼女はその存在を持って示しているように思えた。
この美しい人間を喪失する準備をわたしも常にしていて、その準備が"構え"となり、結果目の前に現れる人や物事に真摯に対応しようとすることに繋がっているのかも知れない。もはやこれは癖というか、パーソナリティの一要素なのだろうが。
相変わらず見事なほどに用意周到で、決して人に媚びず、しかしやわらかく、強い意志を持ち、自身の弱さをゆるそうとする強さを心から尊敬する。
ただ強いだけでなく、やわらかいところは見習うべきかも知れない。
凛とした人間でありたいと、改めて思う。
己の基盤が揺らぎそうになるたび、自分では到底成し得ない"偉業"を成す人々に出会い直す。
襟元を正し、生きることしか選択肢がない。