3年ぶりに実家に帰った話

この異常さについて、今回起こったことだけをを誰かに伝えるだけではなかなか伝わらない。
この異常に気づいたのは今までの人生で私が苦しんできた点が線に繋がった感覚があったからだ。

この十数年、私は親元を離れて自立し、やっと親とは別個体としての自分を認識できるようになってきた。実家暮らし、学生時代、親に経済的に養ってもらっていた頃は親が私のプライベートにどんなに干渉しようとも、育ててもらっている、学校に行かせてもらっている、と自分に言い聞かせてしかたないものだと思っていた。親自身も私がやりたいことや勉強すべきことを実現させるために苦労しただろうと思うし、それを余計なお世話だとかそう思うことはないし、今も感謝している。
ただその時期が過ぎてから、「育ててやった」「学校に行かせてやった」「苦労してきた」ことを盾に「だから言いなりになれ」「だから親の意に反することはするな」「親の許可なしに決断するな」という主張をしてくるのはどう考えても異常だと思う。
確かに子育ての苦労たるや、壮絶なものだったんだろう、私は多分手のかかる子供だったから、時には周りの親と比べてどうしてウチはこんなに大変なんだと感じていたのかもしれない。

「お前は手のかかる」「お前は心配ばかりかける」「お前の考え方は偏っている」「お前の決断は間違っている」「お前の態度はおかしい」・・・
親に対して、お前という子どもは不完全である、大変だ、ちゃんとやれ、こういう意図の言葉は、思春期、つまり私が小さい子どもではなくなってからずっと言われてきた。思春期になった私は、自分で考えて行動するようになり、親の言うことも嫌なことは嫌と言ったし、やりたくないことはやらなくなった。自分でやりたいことを見つけ、やりたいことをやるようになった。つまり、親の思う通りに動かなくなった。親は、私が自分の意思を言葉にしようとすると私よりも大きな声で私の言葉に被せてきた。私の言葉は封じられ、無かったことにされた。あるいは、聞いてないふり、言葉を無視した。今思えば、親は私の精神的自立をみとめられなかったのだ。
しかし、そう言われるたびに私は「応えられていない」「ダメな子どもだ」「親不孝ものだ」「出来損ないだ」『こんなに良くしてもらっているのに』そうやって自分の自尊心を傷つけてきた。自分がダメなんだ、もっとしっかりしないと、もっと認められるように努力しないと、間違った判断をしないようにしないと、親の考えを肯定しないと、自分に全て原因があるんだから。そう思ってきた。思わされてきた。自分の考えを言葉にして主張するより、そう思った方が楽だった。

今となってはどう考えてもただの共依存だし、支配する側とされる側の思考だ。もちろん親は支配してやろうなんて考えていない。自分の意のままにしたいとも自覚してない。ただ「素直でいい子」になってほしいだけだ。「こんなに心配しているのに」「こんなに愛しているのに」見返りはない。

当然苦しい。今考えれば当然だけれど、私は精神と身体を壊した。常に絶望し、頭痛に襲われ、死にたいと言って手首を傷つけ、どうして私はこんなダメなんだと毎日ノートに書いていた。こんな自分に生まれた私が悪い、死にたい。食べ物を受け付けなくなって、とことん痩せた。頭にカロリーがいかなくなって、思考力は無くなっていった。くるしいことも、楽しいことも、美味しいも不味いもわからなくなっていった。

いっときの精神的開放が訪れた。恋人ができた。
私は彼に依存した。そして彼も私を支配した。
しかし、この恋人との関係が拗れ、また親に大きな心労を与えることになった。両親は私と彼の間に入ってくれ、別れ話をする間危険がないようにそばにいてくれた。同棲していたため、引越しの荷造りも手伝ってくれた。本当に助かった。
大きな失敗をした。後悔してもしきれない。謝っても謝りきれない。私に対する信頼は一生得られない。親に対する申し訳なさと、一生一人の個体として認められないだろうという絶望でいっぱいになった。

私は教師になって、経済的に自立することに成功した。
いろんな人に助けられ、学んだ。私自身が不完全なように、いろいろな人の不完全さと魅力と人間らしさに気づき、自分もそんなにダメじゃないということに気づいた。私は自信を持つことができた。

私は私だけの人生を歩みたいと考えるようになった。
少しだけど蓄えもできた。私しかできないことを成しとげたいとつよく思うようになった。やりたいことがあふれ、夢を持った。夢を実現させるために何をするべきかを考え続けた。
私にとっての親とは、完全に別個体、別人格で、自分の人生を楽しみ、健康で幸せてあってほしいと思える人になっていた。別人格だから私の考えや価値観を理解するのは難しいし、理解してもらおうとする必要もないと思っていた。

面と向かって話そうとすると、話が逸れるだろうし、また声を被せられて封じられたら、伝わるものも伝わらないと思い、手紙を書いた。丁寧に、今の私の考えを言葉にして、どうか、私の決断は生半可なものでないと言うことが伝わるように書いた。私は自分の夢を実現させるために仕事を辞めることにしたということを伝えた。伝えなければいけないと思っていたから。

そうして3年ぶりに実家に帰ってきた。

恐れていたことが起きた。
父親の態度は威圧的だった。
「お前この先どうするつもりだ」
親に養ってくれとも言ってないし、実家に住まわせてくれとも言ってない、お金を貸してくれとかもいってない。ただ少しの間ペットを預かってほしいといっていただけ。母親は了承していたし、父親にも伝わっていた。なんで辞めたか、どんな夢を持っているかは手紙に書いていた。
「面と向かって言わないのは親に対する態度としておかしい」
「何も相談せずに勝手に決めた」
「お前は親を舐めている」
「気に食わない態度だ」
「訳のわからない手紙を送りつけてきた」
「ペットを預かるのは承認できない」
「横柄な態度だ」
「自分勝手すぎる」
「お前のパートナーは嘘をついている」
「お前の友達は詐欺師だ」
「お前は理想しか語っていない(どうせ実現しない・無理だ)」
「お前が俺の話を聞かないだけだ」
「お前は親を欺いた」
「どれだけお前のことを心配していると思っている」
「苦労や心配をかけるな」
「お前がかつての恋人と拗らせた時にどれだけ大変だったと思ってるんだ」
「お前は何も分かってない」
「お前は物事をちゃんと理解しようとしない」
「嫌になったらすぐに投げ出すやつだ、ポジティブな理由がある訳ない」
誤解を生みたくない、ちゃんと考えて決めたことだから理解してほしいと発した私の声をかき消して、全て被せて、全て否定した。仕事を辞めたのは、挑戦したい、やりたいことがあるということも信じず、嫌になって投げ出しただけだと決めつけた。
「否定してない、お前の人生だから勝手にやれ、どうせお前は親を信じてない」
「お前はこの先何をするか何も決めていないし、行動もしてない」

確かに、私は親に大切に育てられたし、大学も行かせてもらったし、たくさんの迷惑をかけたし、心労もかけた、助けてもらった。

しかし、果たしてこれは愛なのだろうか?
全て、「親だから」という理由で、成立するのだろうか。正当なのだろうか。
心配だから、愛しているから、悲しんでほしくないから、そう言いながら暴力を振るうのが正義なのか?
私はこの人の所有物なのか?奴隷なのか?体の一部なのか?
自分の意思がなく、親の意見と違う考え方をせず、ニコニコしながら言うことを聞く「素直で良い子」がこの人の理想の家族・理想の子どもなのか?

気分が悪くなった。
私はずっとこの人のハラスメントに侵されていただけなのかと、血の気が引いた。
私の個・オリジナリティについては何も見えてないと感じた。もう何十年も、この人の中にある理想の子ども・イメージの中にある子どもと、目の前にいる私を比べて、どうしてこうならないんだと言い続けているのだと感じた。点と点が繋がった気がした。
孤独を感じた。

私はいろいろな人の生き方や親子関係に関する知識も、すでに知っていたから、これが異常だということにやっと気づくことができた。
解決方法は、精神的・物理的に距離を置くことしかないということも知っている。
私はこの人の言動を愛じゃない、暴力だ。と結論づけた。自分が出来損ないでダメなんだ、と考えてはいけないし、そう考えていたことが間違いだった。今後、実家には泊まらない。地元に帰ってきても、ホテルを取ろう。ペットはシッターかペットホテルに預けよう。自分の人生の選択について、相談しないでおこう。そうするしかない。もちろん、私も欠陥があったり、人として失礼をはたらいたのかもしれないけど、私を守るのは私しかいない。私が傷つくことは全て毒なんだ。

今回起こったことを簡単に説明すると、「仕事を辞めて実家に帰省した。今後の夢を話したら親に理解されなくて心配された」となるのだろうが、多くの人がこの一文だけなら、「それは親だから仕方ないよ」「親にとってはいつでも子どもだから、心配になるよ」「親ってそういう面倒なところもあるよ」と言うだろう。

育ててくれた。助けてくれた。愛してくれたことは間違いないし、感謝している。
でも距離が必要なんだと思う。そうしないと、また私は崩壊してしまうだろう。
それも一つの家族のかたちなんだと思う。

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